アクセス数少なっ!フリーゲームとかタイトルに入れたのが駄目なのか、フリーが悪になる世の中が駄目なのか、というか格差格差言ってる暇があったら所得倍増計画とはいわんが一定の政府目標設定の提案、年収何百万以上をどんくらい増やすだの非正規雇用と正社員の割合見直すとか決めてから政策立案や政策論争しろよとか、最近企業経営者の声が大きいが皆経済と経営取り違えてるとか、そういや今日メーデーじゃんとか、、固定化されたモラルからは負のフリーしか発生しないとか、銀行のあり方見直すには規制緩和以上に電子マネーだのポイントやマイルだの擬似通貨を含めた多元的な通貨管理が必要だとか、要するに今日は書く事無し。ゲームにも触れないし、どうにもこうにも、ただ磨耗しただけの一日。刺激といえば、デヴィット・リンチ監督の「マルホランド・ドライブ」を再鑑賞したくらい。

で、この映画見ていたら自作ゲームの主人公(女)を裸に剥きたくなってきた。キモイ自家中毒的な下心じゃなく、表現の手段としての便利さ故。いっつも決め付けの衣装だと、余りに記号的な存在感で、シナリオの情念が伝わりにくい。傷つく事や死の酷薄さを強調したいなら、相手が生きた存在でなければならないし、その為の最も直接的な方法が『全裸』もう一度言います『全裸』じゃないかと。別に行為に及ぶようなシーンではなく、観念的な使い方なら問題ないと思うがどうなんだろう。ドット絵だし。

使い方としては、主人公の孤独と、そこから派生した自然なだらしなさを表現する為。やり過ぎ?服を仮面に見立てて、友人の結婚を知り、家への来訪者が無い事を確認した後に、風呂上りの裸のまま自分の家うろつきながら愚痴を言う、女を捨てたヤケクソで駄目駄目なシーン。復活のシーンもいつもとおんなじ服で記号的すぎる。規約が怖いが、ちょっと試してみようか。いざとなったらまあ下着でも付けさせるさ。こんな感じで終わり。