あー荷の重い映画。もっとこう、発酵というか醸造というか、穂の青いうちに摘み取っていいんかいみたいな。だが「我々は前に進まねばならない」

どんな創作物でも世界観以上に「宇宙観」は必要なのだと思う。これは設定上の論理構成を超えた、一つの大きな器。前者を背骨とするならこれはDNAの様なものだ。この映画は具体的な対象としての宇宙が意識され続ける。具体的過ぎて鼻につく部分はあるかもしれないが、だがそれを可能にする理想体、価値基準を持つことで、政治的テーマの臭みを取り除く事に成功し、更に失われたものと未来との関係性を明確に提示しているあたり、この脚本の書き手には何か降りてきたとした思えない。要はスンバラシイって事。

「ガタカ」という名画がある。近未来を舞台にDNAで全てが決まる時代、それすら偽って宇宙を目指す男の物語だ。この映画の名台詞を短くまとめると「我々は宇宙の塵から生まれた、ならば死は再び塵に帰ってゆく事なのかもしれない」似た旋律の葬送曲が今回の映画にも流れているように思う。純粋さには欠けるが、今作のほうが過去から未来へと、尺は短くとも主観の立場からはより長い範囲を扱っている。


アレックスは東ドイツ初の宇宙飛行士・S・イェールに憧れ育ったが、成人後は社会主義が衰退する中、鬱屈した思いを抱えたまま、自由主義運動に身を投じつつ、テレビのセールスマンとして日銭を稼いでいる。姉は未婚の母となり、その身は定まらない。彼らの父親は医者だったが「西側の女に騙され」亡命し、それを機に社会主義運動に身を投じた母・クリスティアーニに育てられた。彼女は「陳述書」という形で体制の矛盾を突きつつも、最後は「社会主義万歳」で締めくくる。
自由運動のデモに巻き込まれたクリスティアーニは心臓発作を起こし、意識不明の重態に。彼女が眠っている八ヶ月間に、東ドイツを大きなうねりが襲う。87年・東ドイツトップのホーネッカー議長が退任し、やがてベルリンの壁が崩壊。東西の行き来は自由となり、東ドイツは自らの後進性を暴かれた。資本主義原理がアレックスの家族を襲い、彼は衛星テレビのセールスマン、姉は「バーガーキング」のバイトで男も作り、旧体制で活躍していた人々は、皆仕事を奪われた。
クリスティアーニが目覚めたとき、そこは以前の東ドイツではなく、極度の社会主義者の彼女には一見、耐えられそうもない世界。しかも彼女は少しの刺激で死に至る不安定な容態のまま。アレックスは彼女を「資本主義」から守る為、周囲の人間と共に、彼女のベッド数メートルの範囲に小さな「東ドイツ」を作り上げる。だがアレックスはやがて暴走を始め、目的は新しい東ドイツからの安全圏の創作、理想の東ドイツを作り上げる事に摩り替わって行く。


シーンの作り方はテクニカル。テンポは良いが小粒で、飽きるタイプ。だが込められたテーマの面白さ、設定の面白さで全てを引っ張る。アレックスを始め彼の周りの「旧東ドイツ人」の8ヶ月の変化が楽しく、身につまされる。多少捩れた見方だが、昨今の動きにも通じる部分があるんじゃないかな。アレックスの理想空間に様々な形で現れるほころびも、笑いを誘う。
最高のシーンはやっぱり「グッバイレーニン」ヘリコプターでレーニン像の上半身が運ばれてゆき、伸ばした腕は別れの会釈のようだ。良いモノも、悪いものも、手の届かぬ過去へと去ってゆく瞬間。
もう1つの軸は宇宙か。「我々の動きなど、宇宙から見れば微粒子でしかない」それを知る東ドイツ最後の人間が、己の不遇に耐えつつも、新しい微粒子を歓迎する瞬間、これもかなり泣ける。

ただの懐古趣味を越えた、もっと新しい、普遍性を備えた名画だと思う。これを見てない人とは話が合いません。多分。

どうでも良いが前日の欲望論。この映画の中にドラッグに浸る若者のニュース映像が流れた。連想したのは、いずれこの社会も多様性を捨て、薬物で欲望を画一化する、という妄想。今の精神薬のレベルでも、十分可能な技術だし。結局すべて脳内麻薬なんですよ。SF珍画「リベリオン」(ガンカタ格好良い)では逆だったが。終わり。