選抜の意義⑥ | kantoku's ブログ

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バスケと子供たちを愛する人たちへ

最後に、この選抜を通しての感想と要望を少し。

(以下は批判ではないので誤解の無きよう。様々な事情の上で開催されていることは重々承知の上で僕の私見を話しているだけです。)

 

まずひとつは関わる期間があまりにも短すぎる。
県大会が終わるまでは本格的な選手交流は難しいのだから、県大会が終わって招集を掛け、大会の開催を3月の初旬にすればいいと思う。

6年生最後のビッグイベントとして。

そして一発勝負のトーナメント戦にしてトップを決める。それが一番真剣に戦える。(負け負けの消化試合はやっても一試合)

全国出場チームにとっても絶好の調整になるはずだ。

 

3ヶ月強の期間があれば、週に1~2回の招集でも20~30回の練習ができる。

その間、選抜で学んでいることを並行してチームに還元できる。(合同練習で各チームを満遍なく回れる)
かなり充実した準備もできるし、チームづくりもできる。

指導者も安易には選ばない。選抜に選ばれて「下手になった」では適わない。

地区のいろんな指導者がなるだけ関わって大いに学ぶべきだと思う。

 

ふたつ目、僕は正直、各チームから最低一人選ぶという制度には疑問を感じる。

代表は、「仕方なく選ぶ」ようなものではないと思うからだ。

入りたくても簡単に入れない!だからこそ代表だし、その責任感(プライド)も問われる。

 

もし僕が選ばれなかった選手だったとしたら、自分の方が明らかに上だと思う選手が選ばれている選抜の試合は見たくない。

「そんな了見の狭いことじゃダメだ!選抜は勝つことが目的じゃない!」と、きっと言われると思うが、負けず嫌いの僕はきっと承服できずに「こんなの地区選抜じゃねぇ、各チーム選抜だ!」なんて不服を漏らすだろう。

 

でも、もしこれがセレクションで競い合った上で負けた結果なら納得して観に行くはずだ。

「どんな奴らが選ばれているんだろう!?」とワクワクして。

皆さんならどうお考えになられますか?

 

僕は指導者同士で話す時、よくこう話している。

「ミニバスは確かに勝つことが『目的』ではない。バスケを通して人を育てることが目的だ。だが、勝つことを『目標』にしなければ人は育てられない。」

トップを目指すことの厳しさや辛さを知り、諦めずに挑戦して、乗り越えていく過程で人は多くを学び、強くなる。

 

「一芸に秀でる者は多芸に通ず」

どんな分野でもトップを極める厳しさを知る者は本物だ。

スポーツをやる一番の価値はそこにあると僕は思う。

 

それが代表メンバーであるなら、なおさらだ。

代表(トップ一握りの者)として、人の上に立つことの厳しさ、苦しさ、そしてそれを乗り越えた時の言葉にできない達成感。

 

それを学ぶことが「選抜の意義」だと思う。

 

僕はこれからも「目的」と「目標」を明確にして指導していくつもりだ。

 

そして、無くなったとしても「目標」は常に「全国制覇」でありたい。