2011年3月11日、その日、私は宮城県本吉郡南三陸町の老人ホームの建設現場で働いていました。14時46分、私は野外で作業していました。今回の大地震は、大きなゆれが異常に長く続きました。地震の震度は大きかったですが、建設現場付近で地震によって倒壊した建物はありませんでした。大きな地震だったので発電所が緊急停止したらしく、停電になりました。
大地震のため、その日の作業は終了になりました。そうこうしているうちに6メートルの津波が来る!という情報が伝わってきました。志津川湾を見ると、いくつかの漁船が湾の外に避難しているのが見えてきました。
津波はまず引き波から到達して、潮が引き海底が見えてきました。写真は15時11分に撮影したものです。
15時20分頃、津波のおし波が到達してあっという間に潮が満ちてきました。津波がテトラポットにあたって砕ける音がしてきました。湾の奥の方を見ると、低地の家屋が津波に飲み込まれているようでした。
私は、道路に下りて携帯のカメラで撮影していたのですが、どうやらこちらにも津波が押し寄せて来そうです。
私は、急いで老人ホームの外階段を上がって津波から逃げました。
老人ホーム正面にある保育園は、津波で内部がめちゃくちゃになりました。写真は、津波で冠水時のです。
湾内の漁船は、横転沈没したようです。
志津川湾を見ていると、潮が引いて海底がまた見えてきました。津波の第2波来るとのことでした。写真は、15時53分に撮影したものです。
その後、何回も津波は来たようですが、道路まで上がってくるような大きな津波は来ませんでした。
道路が津波で寸断されてしまったので、私は老人ホームで一泊し、翌日、脱出路が確保出来たので帰路につきました。写真は、翌日の志津川湾です。
話は変わりますが、携帯電話はどうだったか?
au、SoftBankは、圏外の表示がでて通信不能でした。NTTドコモの携帯電話の中継所は非常発電装置を備え付けてあるようなので、NTTドコモは、地震後も高台にのぼると電波がとどいていたようです。夜になると、その電波も途切れてしまいました。翌朝、NTTドコモは電波がとどくようになって、通話は出来なかったようですがeメールは出来るようでした。
地元の仙台港は、どうなったか?
AKB48の握手会、「ポニーテールとシュシュ」との時の仙台会場、夢メッセはどうなったか?会場入り口は上の写真のように、ドアが開いていました。
1階部分のガラスは、津波の漂流物によって破られたようです。
AKB48の握手会、「ヘビーローテーション」の時の会場入り口付近は、自動車と自販機と海底の砂で荒らされていました。
夢メッセの正面は、津波でタイルが剥がれたり地震で出来たくぼみで歩きづらい状態でした。
ポニーテールとシュシュの時、仙台会場はすごく暑かったです。暑い中、握手会に来た人たちは整理券を求めて駐車場で並んだのですが、その駐車場は、写真のような状態でした。
「桜の栞」の時の握手会仙台会場“アクセル”の方も、夢メッセ同様、車が内部に入り込んでいました。
港湾の方に行ってみると、貨物船が陸揚げしていました。
震災後、仙台港の石油コンビナートから出火し、遠くからも煙が見えました。13日の夜、その様子を撮影してみました。
13日の夜、撮影に行く途中、道路で液体窒素を積んだタンクローリー車が5、6台?駐車していました。その液体窒素を使って消火したらしく、3月14日の昼、火の勢いはかなり小さくなっていました。
仙台港の他の施設は、
上の施設は、被害が大きいです。夜、石油コンビナートからの出火を撮影するために上の写真の施設を通ったのですが、激しく損傷を負ったフォークリフトらしき物がアラームを鳴らしているし、海底の泥が津波で打ち上げられ足場が悪くなっている場所があったりと恐かったです。
上の倉庫は、外から見た感じでは地震による被害はほとんどなく、津波によって1階部分が壊滅的被害を負っています。近くの道路にはこの倉庫から流失したと思われるカップラーメンが散乱していました。
仙台港近くの被害が大きかった地区は上の写真のような感じで、泥で汚れた道路、壊れた自動車、ゴミの散乱が酷いです。津波の被害にあった民家は、家の整理を始めているのですが、廃棄物の置き場所が確保できないため、塩水に浸かったたたみ、本、ファックスなどを歩道に排出しているので、さらに街並みが悪くなっています。
大地震のため、その日の作業は終了になりました。そうこうしているうちに6メートルの津波が来る!という情報が伝わってきました。志津川湾を見ると、いくつかの漁船が湾の外に避難しているのが見えてきました。
津波はまず引き波から到達して、潮が引き海底が見えてきました。写真は15時11分に撮影したものです。
15時20分頃、津波のおし波が到達してあっという間に潮が満ちてきました。津波がテトラポットにあたって砕ける音がしてきました。湾の奥の方を見ると、低地の家屋が津波に飲み込まれているようでした。
私は、道路に下りて携帯のカメラで撮影していたのですが、どうやらこちらにも津波が押し寄せて来そうです。
私は、急いで老人ホームの外階段を上がって津波から逃げました。
老人ホーム正面にある保育園は、津波で内部がめちゃくちゃになりました。写真は、津波で冠水時のです。
湾内の漁船は、横転沈没したようです。
志津川湾を見ていると、潮が引いて海底がまた見えてきました。津波の第2波来るとのことでした。写真は、15時53分に撮影したものです。
その後、何回も津波は来たようですが、道路まで上がってくるような大きな津波は来ませんでした。
道路が津波で寸断されてしまったので、私は老人ホームで一泊し、翌日、脱出路が確保出来たので帰路につきました。写真は、翌日の志津川湾です。
話は変わりますが、携帯電話はどうだったか?
au、SoftBankは、圏外の表示がでて通信不能でした。NTTドコモの携帯電話の中継所は非常発電装置を備え付けてあるようなので、NTTドコモは、地震後も高台にのぼると電波がとどいていたようです。夜になると、その電波も途切れてしまいました。翌朝、NTTドコモは電波がとどくようになって、通話は出来なかったようですがeメールは出来るようでした。
地元の仙台港は、どうなったか?
AKB48の握手会、「ポニーテールとシュシュ」との時の仙台会場、夢メッセはどうなったか?会場入り口は上の写真のように、ドアが開いていました。
1階部分のガラスは、津波の漂流物によって破られたようです。
AKB48の握手会、「ヘビーローテーション」の時の会場入り口付近は、自動車と自販機と海底の砂で荒らされていました。
夢メッセの正面は、津波でタイルが剥がれたり地震で出来たくぼみで歩きづらい状態でした。
ポニーテールとシュシュの時、仙台会場はすごく暑かったです。暑い中、握手会に来た人たちは整理券を求めて駐車場で並んだのですが、その駐車場は、写真のような状態でした。
「桜の栞」の時の握手会仙台会場“アクセル”の方も、夢メッセ同様、車が内部に入り込んでいました。
港湾の方に行ってみると、貨物船が陸揚げしていました。
震災後、仙台港の石油コンビナートから出火し、遠くからも煙が見えました。13日の夜、その様子を撮影してみました。
13日の夜、撮影に行く途中、道路で液体窒素を積んだタンクローリー車が5、6台?駐車していました。その液体窒素を使って消火したらしく、3月14日の昼、火の勢いはかなり小さくなっていました。
仙台港の他の施設は、
上の施設は、被害が大きいです。夜、石油コンビナートからの出火を撮影するために上の写真の施設を通ったのですが、激しく損傷を負ったフォークリフトらしき物がアラームを鳴らしているし、海底の泥が津波で打ち上げられ足場が悪くなっている場所があったりと恐かったです。
上の倉庫は、外から見た感じでは地震による被害はほとんどなく、津波によって1階部分が壊滅的被害を負っています。近くの道路にはこの倉庫から流失したと思われるカップラーメンが散乱していました。
仙台港近くの被害が大きかった地区は上の写真のような感じで、泥で汚れた道路、壊れた自動車、ゴミの散乱が酷いです。津波の被害にあった民家は、家の整理を始めているのですが、廃棄物の置き場所が確保できないため、塩水に浸かったたたみ、本、ファックスなどを歩道に排出しているので、さらに街並みが悪くなっています。




















