『子どもをさらった
                           鬼子母神』




  むかしむかしのことです。
  インドの、おうしゃ城というところに、とても美しい鬼神がいました。名前を鬼子母神といって、数えきれないぐらい、たくさんの子どものいる母親でした。 

  鬼子母神には、おそろしい秘密がありました。それは、「町の人間の子どたちをさらってきて食べてしまいたい」という、強い思いをかくし持っていたことでした。
  


  ある日のこと、とうとうがまんできなくなった鬼子母神は、だれにも見られないように、人間の子どもをつかまえると、食べてしまいました。さあ、もうやめられません。つぎつぎと子どもたちをさらいはじめたのです。
  おうしゃ城じゅうがおおさわぎになりました。
「わたしの子どもを見ませんでしたか?どこにもいないのです!」
「なんだって?うちの子も帰ってこない!いったいだれのしわざなんだ!」

  親たちはかなしくてかなしくて、気がくるいそうでした。
  おうしゃ城の町から、子どもたちのすがたが消えてしまいました。 




  ある夜、町の人たちは、ふしぎなゆめを見ました。天神があらわれてこう教えてくれたのです。
「子どもたちは、鬼子母神に食べられてしまったのだ。みんなで急いで釈尊のところに相談に行きなさい」



  それから、いく日もたたないうちに、釈尊のすがたが、おうしゃ城にありました。釈尊は鬼子母神のすみかまでやってきたのです。
  釈尊は、アイジという名の一番小さな子どもを見つけると、そっとつれて行ってしまいました。
  鬼子母神は、アイジがいないことにすぐに気がつきました。すえっ子のアイジをどの子よりもかわいがっていたからです。
「アイジー アイジー」



ありとあらゆるところをさがしましたが、見つかりません。なきさけびながら、7日もの間さがしつづけ、最後にやってきたのが釈尊のところでした。
「アイジがいなくなってしまったのです!おねがいです!アイジに会わせてください」
  釈尊はしずかな声でたずねました。


「お前の子どもは何人いる?」
「五百人以上です。数えきれません」
「そんなにたくさんいるのなら、一人ぐらいかまわないだろう」
「いいえ、いいえ。そんなことはありません。あの子をうしなってしまったら、わたしはきっと死んでしまうでしょう」
「鬼子母神よ。五百人の中の一人がいなくなっても、それほど悲しいのなら、一人しかいない子どもを食べられてしまった親は、どれほど悲しかったか、お前にはわからないのか!」


  このとき鬼子母神はなげき悲しんでいた人間の親たちの苦しみがはじめて分かりました。
"わたしは、なんてひどいことをしてしまったのだろうか・・・"
「鬼子母神よ。お前は、これからも人間の子おさらって食べようというのか?」
「いいえ、いいえ。わたしは二度と、いたしません。
  これまでわたしは、自分のことしか考えていませんでした。アイジにまた会えるのなら、今日からは、おうしゃ城じゅうの子どもたちと親たちを守る鬼神になりたいと思います」



  釈尊は、鬼子母神のしんけんな言葉に深くうなずくと、アイジを返してあげました。
  町には、ふたたび子どもたちの元気なわらい声がかえってきました。おうしゃ城に、平和がもどったのです。
                                                            おわり







【鬼子母神】

  自分の大切な子どもがいなくなった時に、鬼子母神は子どもを失った親の気持ちが、初めて分かりました。
「子どもをさらってはいけない」と言われただけでは、鬼子母神は言うことを聞かなかったに違いありません。
  同じ体験をしなければ、その人の気持ちを知るのは難しいことです。
  釈尊は鬼子母神に相手の気持ちになって考えることを教えたのです。