『人間革命』第3巻
  漣(サザナミ)の章  


  戸田は、意義のない会合など、決して聞きたくなかった。烏合の衆のような世間の集団とは、根本的に異なることを自覚させたかったのである。

  彼は、力を込めて話しだした。
「われわれが、末法に生まれてきたという本当の意味は、信心によってしか感知できないことだ。

  皆さんには、この世で果たすべき重大な使命がある。だが、その使命については、今は、何も気がついていないかもしれない。しかし、皆さんの生命は、本来、それを知っているはずです。 実は、その使命、その責任を、深く知り、自覚した時、皆さんの心に、無上の歓喜と光栄とが、こんこんと湧き上がってくるんです。

  何を言っているのかと、思うかもしれない。しかし、私の話に嘘はない。
  われわれは、いかにも凡夫です。ところが、それでいて、仏の仕事をしなければならない。なぜであるか。それは、われわれが久遠元初に、ありがたくも下種された仏であるからです。その自覚に立って、よくよく自分を考えてみるならば、その使命がなんであるか、素直にわかってくるはずだ。


  これをお伽噺(オトギバナシ)や伝説ととるか、または大聖人の御金言ととるか、それは皆さんの勝手ではあろう。しかし、ちゃんと信心をしてみれば、やがて誰にでも、これが生命の本質なりとわかってくる。気づこうと、気づくまいと、あなたがたの生命自体は、ちゃんと知っているからだ。


  観念でわかるのと、実践でわかるのとでは、天地雲泥の差がある。皆さんは、信心の実践のなかで、わが使命を自覚してほしい。
  未曾有の乱世に生まれて、仏の使いとしての使命を果たさんがために、われわれは願って、凡夫の姿となって生まれてきているんです。そのわれわれが、いつまでも凡夫の姿にとらわれて、実は仏の生命であるという自覚が少しもなかったならば、信心している意味は、なくなってしまう。


  したがって、この講習会は、実は、大した仏様の集まりなんです。みんな、願って貧乏の姿となり、病身の姿となり、なかなか見事な姿に化けて、お生まれ遊ばして、今、大御本尊のもとに集い合った同志というわけだよ」
                        
                        (158㌻ 3行目〜160㌻ 14行目)