新・人間革命 20巻 

 【懸け橋】の章 (204㌻ 3行目〜207㌻4行目)

  民衆を足蹴にし、君臨してきた権力の横暴が革命を招いたのは、歴史の必然といってよい。
  伸一は、戸田城聖のもとで学んだ、ホール・ケインの『永遠の都』の一節を思い出した。

「民衆は真の主権者である、その主権者を圧迫する階級こそ反逆者ではないか」

  万人に「仏」の生命を見る仏法は、本来、民衆を王ととらえる思想でもある。民衆が本当の主権者となり、幸福を享受できる社会の建設が、われらの広宣流布なのだ。
  クレムリンを出た伸一たちは、北側の城壁の外にある無名戦士の墓を訪れた。平和への誓いを託して、献花するためであった。

 この墓は、第二次世界大戦の犠牲者を弔うためにつくられたものだ。幅四、五メートルほどの平らな石の上に、ヘルメットが置かれ、その前に、平和への祈りを込めた火が、赤々と燃え続けていた。
  石の前に、じっとたたずみ、涙ぐむ、老夫婦の姿があった。息子を亡くした人なのであろうか。
  そこに、戦争の傷跡を見た。それは、世界共通の、人類共通の痛ましい光景である。


  一行は、人の背丈ほどの花輪を先頭に、整然と墓の前に進み、献花をすると、犠牲者の冥福を祈って、題目を三唱した。
  捧げた花輪には白地のリボンがつけられ、そこに金文字のロシア語で、「世界平和への祈りを込めて」と書かれていた。

  この日の行事を終えて伸一がホテルに戻ると、「ジェジュールナヤ」という、各フロアで部屋の鍵を管理している係りの人が、微笑みを浮かべて語りかけてきた。肉付きのよい、人のよさそうな婦人である。
「今日はクレムリンで最高会議を訪問されたのですね。さっき、テレビのニュースでやっていましたよ」
  通訳が、その言葉を伸一に伝えた。
  伸一も笑顔で答えた。
「そうなんです。そのあと、無名戦士の墓にも行き、献花をしてきました」
  婦人は、大きく頷いた。


  最初は、彼女たちは、笑顔を見せることはなく、応対は至って事務的であった。西側陣営の来訪者とあって、緊張していたのかもしれない。
  伸一と峯子は、毎日、鍵を預けたり、受け取ったりするたびに、あいさつを交わし、対話を心がけてきた。身近な人との触れ合いのなかにこそ、人間外交の第一歩があるからだ。


  時がたつにつれ、彼女たちもすっかり打ち解け、笑顔で言葉を交わすようになっていったのである。
  伸一は言葉をついだ。
「無名戦士の墓で、涙ぐんでたたずんでいる老夫婦の姿を目にしました。胸が痛みました。もう戦争は、絶対に起こしてはならないというのが、私の願いであり、決意なんです」
  すると婦人は視線を落とし、ポツリと言った。
「私の夫も、戦争で死んだのです…」
  そして、伸一に願いを託すように訴えた。
「戦争のない世界にしてください」

  ソ連の人びとも、戦争の被害者であり、強く平和を求めている。そして、ソ連にあっても、戦争の最大の被害者は、女性と子どもなのだ。
  伸一は、婦人の言葉を全生命で受け止めた。
「戦います。平和のために! あなたも、平和のために立ち上がってください。今の叫びが世界を動かしていきます」


  詩聖タゴールが「女性は男性よりもいっそうたくましい生命力を自らのうちに宿している」と述べているように、女性の力こそ歴史を変える力である。