【懸け橋】の章 (207㌻5行目〜211㌻7行目)
その夜、伸一のホテルの部屋に、ソ日協会の副会長で、ソ連共産党中央委員会国際部の日本担当であるI・I・コワレンコが訪ねてきた。
コワレンコ副会長は流暢な日本語で語った。
「お疲れのところすみません。山本先生とお話がしたかったものですから」
言葉遣いは丁重であったが、眼光は鋭かった。握手をすると、強い力で伸一の手を握り締めた。
コワレンコは、伸一をソ連に招待した、実質的な責任者である。それだけに一行がどんな感想を持っているのか、気がかりで仕方なかったようだ。
伸一が、「皆さんのご厚意で楽しく有意義なソ連訪問となり、大変に感謝しております」と語ると、コワレンコは相好を崩した。
伸一の部屋の応接セットで懇談が始まった。
コワレンコは、伸一に直接、自分の思いをぶつけたかったようだ。彼は、単刀直入に話を切り出した。
「私は、あなたがソ日友好の懸け橋になることを期待しています」
そして、彼は、北方領土問題に対する日本の政治家の対応を厳しく批判した。
さらに、「ソ連と日本の友好関係を考えるうえで大事な問題は、ソ連を敵視するような日中平和友好条約は結ぶべきではありません」と言い、1972年(昭和47年)9月の日中国交正常化の共同声明について語り始めたのである。
この共同声明には、アジア・太平洋地域において「覇権を確立しようとする他のいかなる国あるいは国の集団による試みにも反対する」とある。コワレンコは、その「国」とはソ連を指しており、この文言は、ソ連を敵視するものだと言うのである。
したがって日中平和友好条約には、この反覇権条項を入れるべきではない。あなたは公明党の創立者なのだから、党に支持すべきだ------と、彼は主張したのだ。
伸一は"これは大きな誤解だ"と思った。彼は、きっぱりとした口調で言った。
「それは違います。私は、公明党を創立しましたが、政治家ではありません。宗教者であり、教育者です。また、公明党は、独立した政党です。独自の政策に基づいて行動しております。ですから、政治の分野の問題を、私から指示するようなことはないし、あってはならない。これが鉄則です」
人間として大事なことは、言うべき時に言うべきことを、明確に言い切る勇気をもつことである。
コワレンコは大きな声で言った。
「いや、ソ日友好を目指すという、あなたの主張が嘘でないなら、これは、断じてやるべきだ!」
そして、ドンドンとテーブルを叩き、鋭い目で、伸一をじっと見すえながら言い放った。
「あなたたちは、ソ連を敵視した日中平和友好条約に荷担して、ソ連を敵に回すべきではない!」
是が非でもそうさせてみせるという、慠然たる自信に満ちた声であった。
伸一は、ニッコリ微笑むと言った。
「その手、痛くないですか!」
コワレンコは拍子抜けしたような顔で、伸一を見た。
伸一は、穏やかな口調で語り始めた。
「コワレンコ先生。私は政治交渉のために貴国を訪問したのではありません。一民間人として、教育者として招待をお受けいたしました。私は、民間交流、教育・文化交流の流れを開き、永続的な平和友好の大きな潮流をつくりたいんです」
今度は伸一の方が、ドンドンとテーブルを叩いて見せた。そして、コワレンコの目を見すえて語った。
「こうした、強硬で一方的な姿勢では、ソ連は嫌われます。対話のできない国だと思われます。それでは、あなたたちが損をします!」
それから伸一は、また微笑を浮かべ、諭すように話した。
「日本と中国が、どんな平和友好条約を結ぼうと、振り回される必要はないではありませんか。ソ連は日本と、もっと親密な、もっと強い絆の平和友好条約を結べばいいではないですか。大きな心で進むことです。本当の信頼を勝ち取ることです」
この夜、二人の語らいは弾んだ。
最後に伸一は言った。
「私は日ソ両国が、真の友情で結ばれることを念願しています。そのために、率直に、本当のことを言わせていただきます。これからも、大いに対話しましょう。激論を交わし合いましょう」
以来、コワレンコは、何度となく伸一の部屋を訪れ、忌憚ない対話を交わすことになる。互いにテーブルを叩き合っての議論もあった。
そして、二人の間には、深い友情が育まれていくのだ。
勇気を持って真実を語ってこそ、心の扉は開かれ、魂の光が差し込む。それが、信頼の苗を育んでいくのだ。それが、折伏精神ということだ。