断れない病気 | 鬱病を乗り越える -毒親からの解放-

鬱病を乗り越える -毒親からの解放-

鬱病が快方に向かい、前向きに生きるために気付いたことなどを書いています。
鬱病、薬のこと、毒親、生い立ち、不登校など。
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これは私のことではなく、私の母親です。

私の母親は私が物心ついた頃から色々な物を大金で買い、騙され続けていました。
訪問販売、マルチ商法、生命保険…
いずれも家計が傾いて火の車になって続けられなくなって、やむを得ず契約を止めるまでがお決まりのコース。
学習能力が無く、私が家を出るまで幾度と無く同じ事を繰り返していました。

今はネットで調べれば、発達障害など、そういう病名が色々と出てきますが、うちの母親は学習能力が無く頑固で底意地が悪かったので、単純に頭が足りない人だったんだろうなと思います。

家を出る直前の頃、給料をむしりとられ、母親の友人Aの保険契約のために名義を寄越せと迫られ続けました。
保険会社の応接室に入る直前まで抵抗したのですが、保険料は母親が持つというので、私も弱いので名義だけなら…と契約してしまいました。

まだ私は20歳そこそこ。
生命保険なんて必要なく、入っても共済で十分な年齢と健康状態。
なんで必要もない高額な生命保険をかけなければいけなかったのか…

その保険会社のAは母親ととりわけ親しいわけではなく、母親の勤める会社の元同僚で、保険を契約する話を聞いた時に名前を初めて聞いたような人でした。

案の定、いつまでも高額な生命保険を払い続けることができず、数年で解約。
100万以上支払って返ってきたのは1万ちょっとでした。

それが一回だけではなく、何回もありました。
小学生の頃、近所に住む保険会社勤務のママ友Bに連れられ何度も健康診断を受けさせられたのは、恐らく保険契約のためだったんだなぁと、今さらながら思います。

その高額の保険料で自分の将来が潰されたと考えるとやるせないです。
ちなみにBとは保険以外の金銭トラブル(うちが一方的に貸していたお金)で絶縁。
感謝すらされない無意味なことでした。


母親は娘は犠牲にしてもいいと考えていたんだと思います。

私が大学受験の頃、某健康食品にハマリ(近所に住む親ネズミは、恐らく私が受験と聞き付けて近付いた)セミナーから帰って来た母親は「これさえ飲んでれば志望校に受かる」と宗教のように商品を崇めていました。
受験でお金が必要な時に毎回何十万円分も健康食品を購入するので、親切にしてくれる親ネズミとの和気あいあいとした付き合いに満足していたようです。

案の定というか、当たり前の結末なのですが、大切な受験料すら無くなり、受験は失敗…
辛うじて受験できたのは募集期間が長く、交通費もなかったので地方受験を実施している三流大。
母親には「ウソつき!」「(3流大を受けるなんて)親をバカにしてる!」などと言われましたが、大学を受けるのに受験は必要だし、その受験をするために受験料というものが必要なのでは?と思うのです。
その健康食品を飲んで、大金を払っていれば志望校に受かるなら、センター試験なんかいらないわけで。
そして、健康食品宗教の夢から覚めて、単身赴任して不在だった父親に私を進学させられなかったことを激怒されることに気付いた母親は焦って、私をどこかの専門学校に入れようとしましたが、入学金も無く断念…
私は働きに出ることになりました。(ここでも小さいながら事故がありました。それは後程…)

私には男兄弟がいるのですが、男兄弟の時はそんなことがありませんでした。
高額の保険料のため、制服が買えないなどどありましたが、大学受験も入学金も授業料も妨げになるようなことはありませんでした。

おそらく、健康食品と、家を出る直前の生命保険契約は私を犠牲にして成り立つ自己実現や自己愛みたいなものだったんだと思います。

必要にされてるから、その友達(A、B、親ネズミ)のためにしているというより、自分が好かれたいから、お金や私を犠牲にする。という方が感覚的に近いですが、毎回同じパターンで毎回家計が破綻しているので、やはり普通ではないと思います。

しかも不思議なのは、ちゃんとした会社の必要な修理の見積りなどは「騙されるから!」と一切しないことです。
なので、家や車や家電などはボロボロに壊れて放置されていました。
トブに捨て続けた数百万(1000万は行くかも)があれば、家の修繕、新車の購入、家電の買い換え、私の受験料や入学金くらいは払えたんじゃないかなぁ。

過ぎた話を蒸し返してもしょうがないのですが、もし、同じ境遇の人がいたら…と、思い、綴って見ました。

ブログに文字として書くことでスッキリしたり、案外悩みがそんなに深刻ではなかったと気づいたり…
そして、同じように悩んでいる人のブログを読んで共感することで気持ちが楽になったりするので、ブログで自分のことや家族のことを書くのは露悪趣味と言われるかもしれませんが、鬱病を患う私には通院するのと違ったフィールドでの治療になっているのだと思います。