「切腹」の美学と日本人の「いっそ」「どうせ」「せめて」 | おっさんブログ

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2024年6月11日

私たち日本人は、しばしば「いっそ」「どうせ」「せめて」という言葉を使いたくなることがあります。

 

これらの言葉は、ある種の諦めや、最後の手段を示唆するかもしれません。

 

しかし、これらの言葉には、逆境に立ち向かう強さも秘められています。

 

たとえば、切腹は武士の世では潔さの象徴とされてきましたが、それは逃げることなく、最後まで自分の信念を貫くという意味合いも含んでいます。

 

最近の能登地震や続く国外の戦争の被害者の事を思うと、私たちが直面する日常の苦難は比較にならないかもしれません。

 

しかし、苦難は必ずしも悪いことではありません。

 

苦難は、私たちを成長させる試練である可能性もあります。

 

美味しそうな料理も、一見まずそうな料理も、食べてみなければその価値はわかりません。

 

同じように、辛い経験も後になって価値がわかることがあります。

 

楽しいことばかり追求するのも、人生にとって必ずしも良いことではないでしょう。

 

人は苦難を通じて学び、成長します。

 

そして、潔さとは、生きることを最後まで諦めないこと。

 

死にたくないという本能に抗いながら、最後の一瞬まで戦うことです。

 

今日も、ありがとうございました。