2007年に入り、僕はまたまた模索していました。

とにかくインターネットで色々調べていたと思います。

そんな折、僕はmixiをしていてとあるコミュニティを見つけました。

”レーシングカート仲間募集”

すかさずメッセージを飛ばしました。

すると快く受け入れてもらえたのですが、その方というのが僕と同じ誕生日で歳もちょうど一回り違っていました。

勝手ながらこれは何かの縁だと思いました。

そしてこの方は那覇市にある珈琲豆のお店「美ら豆珈琲」の店主である高倉氏です。

とても熱い方で今でもたまにお店の近くを通る際に寄ってはレースの話をしたりしています。

そんな高倉さんとレーシングカートをご一緒させて頂くことになったのです。

こんな見ず知らずの僕に予備?のカートを貸してくれて何もできない僕の為に整備までしてくれました。

相変わらず下手な僕ですがカートを乗る楽しさを存分に味わいました。

何度お世話になったかは覚えていませんが、当時あった伊計島サーキットまで一緒に連れて行ってくれたり本当にお世話になりました。

ですが、当時の僕はレース活動をする為の資金も無くそのせいか手軽に出来るフットサルの方に夢中でそちらに時間を費やしていました。

実はこの頃レース活動をする際にした借金があったりで経済的にかなり厳しかったのです。。  

2006年9月下旬。
僕は富士スピードウェイに来ていました。

フォーミュラトヨタ・レーシングスクール(以下FTRS)を受講する為です。

FTRSは当時2つのコースに分かれていました。

一つは実績も豊富で将来有望なドライバーの為のスカラシップコースでこちらは二日間。

もう一つは僕が受講した一日だけの1DAYコース。

講師陣は有名な方々で豪華だったのを覚えています。

スクール自体も本当に基本的なことから始まり、最後には模擬レースの様な感じの事もしました。

中にはフォーミュラ隼やヴィッツレースに参戦しているドライバーもいてお互い頑張ろうと約束したものです。

肝心の右手の状態ですが、スクール当日も少しましになっていた程度でした。

手首にサポーターを巻いてその上からレーシンググローブをはめて固定する、そんな具合でした。

シフトノブが右側にあるのですが、シフト操作の度に激痛が走りました。

これは無理かもしれないと最初は思いました。

ですが、アドレナリンのお陰でしょうか。走行を重ねるうちに痛みをあまり感じなくなっていました。勿論痛いのですが、我慢できる程度に感じたのです。

そして無事に最後までスクールを終えることができました。勿論手のケガの事は誰にも話していませんでした。途中で降ろされることを恐れていたからです。

運が良いことに、富士スピードウェイで翌日にF1チームのイベントがありました。当時のルノーです。

初めて見るF1マシンに興奮しました。アロンソやフィジケラ、コバライネンを遠目からですが見ることができました。

そして前年度まで使用されていたV10エンジンの甲高いサウンドも聞くことが出来、本当に感激しました。

しかしこれを最後にしばらくフォーミュラカーから遠ざかることになります。  

沖縄戻った僕は県内にゴーカートのサーキットがあることを初めて知り、少しでもモータースポーツに携わりたい思いからアルバイトをさせてほしいと連絡を取っていました。

するととりあえず面談しようということで読谷のククルサーキットまで行きました。それが翁長さんとの出会いでした。

面談をして働かせて頂くことになりました。

しかしそれも短い間でした。というのも那覇から原付で通っていたのですが、ある日通勤中に左折する軽トラックに巻き込まれてしまい吹き飛ばされてしまいました。

その事故が原因で体のあちこちを痛めてしまい働けなくなってしまいました。

事故から数日後、トヨタのレーシングスクール「フォーミュラトヨタレーシングスクール」の募集が始まりました。

その時僕の右手首は原因はわかりませんが痛みがひどく左手で支えないと右手を運ぶことも出来ない状態でした。

締切りは一週間後、応募が通ってお金を払ってもこの手の状態では出来るわけないとの考えから応募を躊躇っていましたが、「行くまでに三週間ある」それまでに少しは動かせることを願って応募を決意しました。

そして、参加が決まり静岡県の富士スピードウェイへ受講する為に向かいました。