当初半年間のつもりでいたのが結局一年間そこで働いていました。

そして沖縄へ帰ることに。

震災前の2011年2月でした。

帰ってきてから色々と調べて今度はモートレというスクールに参加することになりました。

福島県のエビスサーキットで行われているスクールで現地に車両を持たない僕はレンタルして受講しました。

予定では三月の予定でしたが震災があり、その影響で延期となり4月の20日過ぎになりました。

震災から一ヶ月しか経っていなくあちらこちらに被害の跡が見受けられました。

サーキットも一部影響があった様に思います。

ここでは初めて乗用車でのサーキット走行を経験しました。今までずっとフォーミュラカーとカートしか乗ったことが無く駆動方式も含め全然違うことに戸惑いもありましたが

ものすごく勉強になったのも間違いないです。

本当は継続して参加したかったのですが、結局一回限りの参加となりました。

この後僕の今後を変える事に出会うことになります。

これが無ければ今の僕はなかったと言えるでしょう。

それ程大きな出来事でした。

幸いにも僕は敢えて三重県の工場を選んでいた。

理由?それは鈴鹿サーキットに行けるからだ。

当初の目的が果たせないのならここでやればいい、そう思った僕は当時鈴鹿サーキットで行われていたFK4というスクールが開催されていることを知っており、興味もあったので早速申し込み。

そして夜勤明けにすぐさま自身のレース道具を持ち鈴鹿サーキットへ向かった。

こんなこともあろうかとレース道具を実家の弟に送ってもらっていたのだ。

座額から始まり、その後実走行へと進んだ。

FK4というマシンはこのスクール用に準備されたフォーミュラカーで鈴鹿の南コースに合わせた小さいサイズでエンジンも軽自動車のエンジンを使っています。

それでも立派なフォーミュラカー、動きは機敏でとても軽快に走ります。

ここでもやはりミスばかり。いつになったらみんなの様に上手になれるんだろう。自分でも才能が無いことに気付きながらも止められないことにもどかしさを感じ始めたのもこの頃だったかと思います。

そして、また神様のいたずらが。。

定期的に開催されていて都度違うカリキュラム構成だったこのスクールですが、僕が一回しか行っていないにも関わらずサービス終了になってしまいました。

また僕のレースへの道が閉ざされようとしてました。しかし僕はそれでもお金を貯め続けてチャンスを待ちました。
  

時は過ぎ2009年暮れ。

僕はレーシングスクールへ入り直そうと考えていた。

関東にあるWINDSというチームだ。そこにはウィンズ倶楽部という住まいや仕事のサポートをしてもらえる制度があることを知ったからだ。

”これなら行けるかも”そう思って僕は資金作りと借金返済の為に季節労働へ行く決意をした。

そして年明けてすぐ申し込みをし一月末には三重県桑名市に行くことになった。

稼げる仕事でないと意味がない、そう考えていた僕が選んだ仕事は工場の中でも”車体””造船””タイヤ”がきついとは聞いていたがその一つであるタイヤ工場であった。

それどころか、2トン、4トン用のタイヤを扱う部署に配属され一日でタイヤを1000本は放るであろう職務に就いた。

とにかくきつく、初めの一か月は疲れも取れず筋肉痛も引かない、挙句ミスも多かったのでこっそり涙したこともあった。それくらいに過酷な仕事をしたことがなかったのだ。

少しずつ周囲の人たちにも慣れ仕事もこなせるようになってきた。それでも休みの日は寮から出ることはありませんでした。

目的はあくまでお金を作ること。

そんな中先述したウィンズ倶楽部がなくなっていることに気付いた。

これは大誤算である。レース活動の行く末がまた見えなくなったのである。

この後も神様のいたずらに翻弄されることになる。