戦時日本は「上からのファシズム」であったと思う。古今問わず日本国民全体での草莽崛起、草の根の「下からのファシズム」で国を動かせた事など未だ無いのではないか。

また東條には独裁者的カリスマ性など無かったと思う。彼はあくまで官僚的存在として戦時日本の宰相となり、そして太平洋戦争で最も罪の思い戦犯とされ、処刑されたある意味気の毒な年配男であったとも言える。東條は近衛内閣での陸軍大臣時代と内閣総理大臣就任後で陸軍に対する態度、発言が変わった辺りからも、空気を読むというより流されるタイプで、軍人というよりも官僚的で、全然カリスマ的独裁者のような神々しさ等無く、どこまでも人間らしい存在だったのではないかと今でも思う。

 ただ太平洋戦争において日本軍が米英中心の連合国軍に対して快進撃を続けていた時期だけとはいえ、東條英機が国民からの評判が良かった事、国民の支持を得る事に成功していた事は意外だった。

 しかし、太平洋戦争の最中、「東條→小磯→鈴木」と総力戦の最中であるにも関わらず総理大臣が2回も辞職して変わった事は無責任極まりないと言わざるを得ない。サイパン陥落時点で無条件降伏出来なかったものかと思う。ただ、日本で国民全体に厭戦気分が蔓延したのは本土空襲が本格化してからだと思われるので、サイパン陥落時点では降伏どころか停戦ですら決断した時点で、東條は暴徒と化した国民に襲われ、殺害されていたかもしれない。