米国が対日経済制裁を発動して中英への経済支援及び武器援助を強化した時点で「あの時の日本は朝鮮半島及び台湾領有で満足して中国大陸から手を引けば良かったのに」と思うのは、日中戦争の結末を知っているからであって、当時、日本で一般人として生活していたら絶対にそうは思わなかったであろう。寧ろ、自分も「米国は新興国の分際で生意気だ。懲らしめてやれ」と思ったかもしれない。

 しかし、松岡洋右外相の日独伊ソ四国協商構想はあまりにも荒唐無稽で非現実的過ぎたと思う。1941年4月に日ソ中立条約を結んだ直後に人類史上最大の地上戦であった独ソ戦が勃発する事を全く見抜けなった事を考えると、21世紀人の自分からみれば当時の日本政府はあまりにも欧州情勢に疎かったと感じざるをえない。勿論、当時のソ連最高責任者だったスターリンでさえドイツによる対ソ戦準備をハッタリであったと勘違いしていた可能性はある。

 なお、松岡が米国に更なる譲歩を迫って反発を買ったという事実は、既に国力世界一となっていた大国を舐めていたとしか言い様が無い。その松岡を更迭した近衛文麿首相の決断は正しかった。

 また、1941年7月に日本は南部仏印進駐を断行したが、その事によって「米英との全面戦争不可避」となってしまう自覚が無かったというのがあまりにも無能であり、無計画であったと思う。