文学的素養の無い私が文豪の小説を最近読んでいます。若い頃の読み方と違って、今読むとまた面白い。分からない言葉があると、辞書を引きながら読んでいます。
そして、こんなに日本語の単語ってあるんだと妙に感心しています。
文豪の作品だから語彙が豊富なのは当たり前なのですが。
昔の唱歌と今学校で習う歌を比べてみても、昔の唱歌は随分と難しい言葉を使っています。
ただ「感動した」と言うようになったのは、いつからなのでしょうか。日常的に使う日本語が減っている?
英語教育に時間をかけるなら、それと同じ時間をかけて日本語の教育もしないと、日本語が無くなってしまいます。
私は中学から音楽学校へ行きましたので、普通の学校より音楽の授業が多く、その分普通の教科に費やす時間が少なかったと思うのです。おまけにサボることに情熱を燃やしていましたし。ピアノの練習にも時間を取られていましたから本を読む時間も少なく、当然語彙も少なく、今その反省から、日本語をちゃんと勉強しておけばよかったなと思っています。
思考は言葉で組み立てられます。だから……
そして、こんなに日本語の単語ってあるんだと妙に感心しています。
文豪の作品だから語彙が豊富なのは当たり前なのですが。
昔の唱歌と今学校で習う歌を比べてみても、昔の唱歌は随分と難しい言葉を使っています。
ただ「感動した」と言うようになったのは、いつからなのでしょうか。日常的に使う日本語が減っている?
英語教育に時間をかけるなら、それと同じ時間をかけて日本語の教育もしないと、日本語が無くなってしまいます。
私は中学から音楽学校へ行きましたので、普通の学校より音楽の授業が多く、その分普通の教科に費やす時間が少なかったと思うのです。おまけにサボることに情熱を燃やしていましたし。ピアノの練習にも時間を取られていましたから本を読む時間も少なく、当然語彙も少なく、今その反省から、日本語をちゃんと勉強しておけばよかったなと思っています。
思考は言葉で組み立てられます。だから……