作曲家の一柳さんが、「作品が世に出るには(中略)~何らかの援助が不可欠になります。クラシック音楽は歴史的に教会や貴族が支えてきました。現代の作曲家も、アメリカではお金持ちの愛好家、ヨーロッパでは国の援助があってこそ、大がかりな作品発表の場が保証されるのが実情です。しかし、日本ではそうした援助者が少ない。」と新聞に載せていらっしゃいました。
その援助の形の一つがチケット代という形ですが、それも理解されないことがあります。場所によっては、チケット代を払ってまで聴く習慣の無いところもあります。
それでは芸術が何で必要か、それは、いいものを見たり聴いたりしたら歴然と分かるものです。クラシックの音楽はどうも分からないと仰る方がいらっしゃいますが、それはピカ一の演奏に出会っていないのです。いいものに出会うというのは、気持ちが変わるだけでなく、時には人生をも変えます。一生の記憶に残るものです。
真の芸術とはそういうものです。
ピカ一の感動を知っているということは、揺らがない何かが自分の中に生まれます。体の芯がしびれるほどの何かを与えてくれます。
その真の芸術のために、芸術家は膨大な時間を費やしています。時間をかけたからといって必ずしも思い描く結果が得られるわけではなく、螺旋に思いを巡らせ、作り上げたものを時には壊してみたり。時には閃きで生まれることもありますが、これでいいということはなく、端から見れば何もしていないように見えても、当人はあっという間に時間が過ぎているものなのです。
というわけで、芸術活動には誰かの支援が無いと成り立ちません。
ヴァイオリニストの堀米ゆずこさんのヴァイオリンが空港で差し押さえられ、ようやくご本人のところに戻るという事件がありましたが、演奏家の楽器につきましても理解していただきたいです。

そして、音楽なり提供する側は常に最上級のものを求める姿勢でありたいです。