改めて知っておきたい積極的平和
さてさて、
もうすぐ終戦記念日ですが、
世の中の動きはきな臭さが増しています。
そんな中で改めて知っておきたいのが
「積極的平和」について。
もう10年前ですが、
当時首相だった安倍さんが
やたらと「積極的平和」と使い出しました。
これは、
ほんまは湾岸戦争に参加したかったのに
参加しなかった(できなかった?)のを
めちゃくちゃ悔やんでたから。
今度同じ機会があったら逃したくないと思って出た言葉です。
その後のイラク戦争の大義名分となった
「大量破壊兵器」はなかったし、
イギリスの首相が謝罪を行うなどの騒動がありました。
そのため、
湾岸戦争〜イラク戦争の
参加国の国民は、いまではとてもネガティブな反応を示しています。
さて、
当時の安倍首相は積極的平和を
「積極的に戦争に介入することで平和な状態をつくる」的な意味で使っていましたが、
本家の平和学的には意味が異なります。
平和学の第一人者
ノルウェーのヨハン・ガルトゥング博士はこう定義してます。
単に戦争がないだけでなく、構造的な暴力(差別、経済的搾取、不平等な力関係、格差、貧困、政治的抑圧、植民地支配)もない状態を積極的平和と呼ぶ。
安倍さんとは、ずいぶん言葉の意味が違いますね。
逆に
「消極的平和」は単に戦争がない(だけ)の状態を指します。
戦争はなくても、
構造的な暴力でいっぱい死んでるのに、
平和って言っていいんか?って感じかな。
さて、先日のグリーンズ世界大会の報告にも書きましたが
戦争と平和は隔離したものではなく、
すべては線で繋がっています。
積極的平和の状態から消極的平和を経て戦争の状態に突入します。
ならば、
憲法12条にもあるとおり、
普段から積極的平和に近づけるように
不断の努力をしないといけないですね。
憲法12条
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
「積極的平和」がバズった時に
イギリスのサンダーランド大学で
平和学の修士課程を修了した父の「声」が新聞に載りました。
首相の「積極的平和」に疑問
安倍晋三首相が国連総会などの演説でのべた「積極的平和主義」は、本来の意味から乖離した言葉ではないか。
平和学の教科書的書物「アプローチズ・トゥ・ピース」(平和への取り組み)によれば、北極圏先住民の言葉には「雪」の様々な状態を示す語が20もあるという。同様に「平和」概念も程度に合わせて複数あって当然だ、とする。そこで示されるのが「消極的平和」と「積極的平和」だった。戦争のない状態を消極的平和、戦争から程遠い世界や社会システムを作ることが積極的平和とされる。以上のことを英国の大学院平和学科で学んだ。
積極的平和は社会格差や差別をなくすことで貧困や犯罪を減らすことをめざす。さらにヘイトスピーチ禁止、体罰や死刑の廃止などで暴力や憎しみのない文化と、民主主義や基本的人権を尊重する社会を育成することをめざす。さらにこうした意識、文化、制度改革を広げることが、「本来の積極的平和主義」と言えるのだ。
特定秘密保護法案成立や生活保護切り下げのほか、憲法の解釈で禁じられている集団的自衛権の行使容認をもくろむ安倍首相には、「積極的平和主義」を口にする資格はないだろう。
自分の周りは
平和で暴力がないからいいや
と、
誰かの苦しみや理不尽から目を背けていたら、
いずれ自分や家族が理不尽に苦しむことになるよ。
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大谷翔平を経て
スピーチもうまくなったタケルくん。