5回目の3.11 | 大阪府河南町議会議員 佐々木きえオフィシャルブログ Powered by Ameba

5回目の3.11

もう5年も経つのですね。



私は未だに原発が怖くて仕方がありません。



あの、5年前の日、

「地震があったけど大丈夫か?」というオットからの電話で地震の発生を知り

「すっごく大きな地震があってんて?」と怖かったのか、息を切らして帰ってきた娘の言葉が、

テレビをつけるキッカケになり

つけたテレビ画面には、立派な家を次々と飲み込んでいく津波が映し出され

テレビに釘付けになりながら、呆然としていたのを思い出します。





逃げる車が津波にのまれるのを見ながらも

「どうか誰も死んでいませんように」と

無力な願いを心の中で必死に唱え続けた記憶がよみがえります。





地震と津波による被害の全貌もつかめていないのに

ニュースでは原発が爆発したと、

とんでもない事を言い出し

子ども達を守らなければいけない私は

必死に、事故に関する政府の発表やネットで

被曝を免れるための情報を集めました。







その時ほど厳格に気をつけているわけではありませんが、

今でも回転寿しにはあまり足を運びませんし、

西日本の食材を意識的に選びますし、

キノコは町内産のものしかたべませんし、

乳製品は特定のブランドのものしか購入しません。






関西在住の我が家ですら、こんな状態です。






関東以西からの保養キャンプを主催していた時

お庭で走り回って遊ぶ子ども達をみて

お母さん達は「土遊びをさせてあげられる」と泣いて喜んでくれました。

河南町のお野菜を食べて「安全な食べ物を食べさせてあげられる」と

心から安堵したような笑顔を見せてくれました。





彼らは、なんでこんな目に遭わないといけなかったのか。






私は原発の危険性を知っていたのに

なんで黙って受け入れていたんだろう。





ウチの両親は社会活動家なので

事故の前に

「原発がローコストなエネルギーだ」という関電のCMに対して

「事故が起こったら補償しなあかんし、

放射性廃棄物の処理費用を入れたら、最も高価なエネルギーやのに。」と言っていました。

チェルノブイリにて甲状腺ガンで亡くなった子どもがたくさんいるという話もなんども聞きました。

福井の通称「原発銀座」のこと。

被曝作業員のこと。

プルトニウムを使用する、おそろしいもんじゅのこと。

そして、もんじゅは1wも発電したことがないのに

膨大な費用を用いて(1日5千万円!!)維持管理していること。





たくさんの話を聞いていたので、原発の危険性は十分にわかっていたのに

なんで私は声をあげなかったのだろうと、

保養キャンプに参加する子ども達に申し訳なくて

とても後悔しました。







愚かなことに、事故が私の転機になりました。





だから、私の活動の原点はつねにココにあります。







おなじような後悔をしなくて済むように

命が最優先されるよう

政治を監視し続けます。






震災により亡くなられた方々にご冥福を祈るとともに、

被災された方のお見舞い申しあげます。