手記が寄せられました〜おかとん移住者支援プロジェクト | 大阪府河南町議会議員 佐々木きえオフィシャルブログ Powered by Ameba

手記が寄せられました〜おかとん移住者支援プロジェクト

私が所属している『おかんとおとんの原発いらん宣言2011』では

おかとんでは

関東以東で暮らしている方で

「放射線量の低い地域で暮らしたいけど、決心がつかない」というご家族の背中を

ポンっと押そうと

「中学生以下のお子さんがいるご家族」で「大阪方面への移住を考えているご家族」に

援助金として30万円お渡しするプロジェクトを行っています。

*実際にお渡しするのは、引っ越しが完了してからです









先日支援が完了した母子避難者のKさんが手記を書いてくれたのでご紹介します。




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このたびは、おかとんさんの避難者支援基金をいただいた母子避難者のKです。




私は、チェルノブイリ原発事故当時に悪い影響があった地域と、同程度の放射線線量を計測してしまった東京都から大阪府へ、子ども二人を連れて母子避難してきました。




子煩悩な夫は、一人寂しく東京で仕事を頑張る生活が続きました。



子供たちの可愛い時期の成長を間近で見せてあげられなかったことは、本当に申し訳ないと思っています。




私は、家族でできるだけ西へ移住をしたかったのですが、全く夫が話し合いにも応じてくれませんでした。




それならと、関東で少しでも線量の低い地域に、家族で移住しようと、何度も話し合いを提案してきましたが、夫は生まれ育った場所を動きたくないとの一点張りで、私の不安感に寄り添うこともありませんでした。





当初は避難に理解を示してくれていた夫でしたが、月日が流れるにつれて、わたしが子供たちを拉致して誘拐したと言い出して、仕送りをまともにしてくれなくなりました。




生活が立ち行かなくなったので、私が仕事をしたいと言うと、仕事をする位なら子どもたちを東京へ戻せ!と、言われました。完全に兵糧攻めです。




私は、仕事を始め、それまで世話になっていた実家も、避難生活に反対している親に早く家を出るように言われていたので出て、狭いハイツを借りて、子どもたちと、三人で移り住みました。




区役所に何度も何度も通い、話を聞いてもらい、なんとか子供たちを保育所へ入れてただくことが出来ました。




介護ヘルパーの資格を、職業訓練で取得して、地元のグループホームへパートとして採用してもらいました。




それでも、子どもたちを保育所と小学校と学童へ預けられる時間だけの就業になる為、月十万円ほどの収入にしかなりません。




母子家庭ではないので、何の減免措置や控除もないまま、長男の小学校入学の資金も全額支払わなければならず、借金したり工面しながら、何とか小学校へあげました。




こども手当も、すべて夫が取り込んで送ってもらえないため、再三行政にも訴えましたが、こちらに送ってもらうことはできませんでした。




大阪弁護士会さんのやっている避難者相談に行き相談すると、東京から避難している私は対象外だったのですが、担当弁護士さんが、法テラスでもやってらっしゃる方でしたので、法テラスの方から申請を出して、夫へ、婚姻費用分担請求の調停を起こしました。




はじめに相談に行ってから、約1年で審判がおりましたが、いまだに夫は決められた額の仕送りを、送って来ません。





長男が小学校に入学した一学期から、激しい登校拒否が始まり、毎朝大暴れする長男を引きずって、ものすごい時間をかけて登校させました。あまりに泣き叫ぶので、とうとう虐待の通報をされて、児童相談所の職員さんたちが家に来るまでになりました。




その後も息子は、学校の授業をうけられなくなったり、パニックを起こす頻度が増え、心療内科へ連れて行くと、アスペルガー症候群強めの、AD/HDとの診断がつきました。




息子を預けている学童も、息子がパニックを起こしたりするため、うちではもう見きれないと、私の職場へ、お母さん早く迎えに来てください!との電話が頻繁に入るようになりました。




職場にも迷惑をかけてしまうし、でも、母子家庭の様な控除も何も受けられない母子避難のうちは、働かないと生活をしていけないので、大変困っています。




そして、避難生活4年目にして、私自身が自己免疫疾患の難病に罹ってしまいました。しかも、難病指定されていない難病に。。医療費の控除ももちろんありません。ステロイドの大量療法しかまだ治療方法が無いらしく、毎日酷い副作用が出ていて、気分も沈みます。




今回おかとんさんの避難者支援の30万を、難病で入院していた間、働けなかった分の生活費と、息子を早迎に行って働けなかった分の生活費にあてさせていただきました。



途方に暮れていたので、大変助かりました。



本当に、ありがとうございました。




せっかくの母子避難者手記なので、これから避難してくる方の背中を押す様な希望ある文章を書きたかったのですが、こんな大変なら母子避難なんかしたくないよ。。と、思わせてしまう文章になってしまったと思います。でも、今の私にはこのようにしか書けませんでした。




四年前に母子避難してきてから、たくさんの人たちとの新たな出会いがあり、その中で、おかとんさんの避難者支援も受けさせていただけたので、出会いに感謝しています。




今の私は、自分の難病と、長男の障害、夫との調停、身内の不理解で、かなり困難な状態で、それでもなんとか生きていられるのは、福島原発事故後に出会った人たちの、励ましや、支援や、共感のおかげです。




自分と同じ母子避難者たちや、家族で移住している人たち、大阪で放射能のことを気にして生活している人たち、反原発の人たち、地元のママ友たちや、職場の人たち、支援者の人たち、保育所の先生たち、友人たち。。いつも支えてくださっているみなさんに、感謝の気持ちでいっぱいです。




たとえ生活レベルを落としても、放射能を気にせずに、子供たちに自然の中で走り回らせてあげたかった。その願いは叶ったので、次はこちらで生活を立て直して、子供たちに落ち着ける環境を作ってあげたいと思っています。




こんなに大変な状況でも、それでもやっぱり、避難して良かったと思っています。




避難したら終わりではなく、そこからも生活はずっと続いていきます。




どうか、避難したいと思っている方達すべてが、避難できますように。




母子避難者 K


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4年前の原発事故は収束しておらず、未だに放射能は垂れ流し。

傷ついた人はほったらかし

こんなんで、川内原発を稼働させるなんて

どっちを向いて政治をしてはるんやろか。







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