移住者支援プロジェクトに手記が寄せられました | 大阪府河南町議会議員 佐々木きえオフィシャルブログ Powered by Ameba

移住者支援プロジェクトに手記が寄せられました

先日、移住者支援プロジェクト&甲状腺エコー検査のためにお伺いした須藤さんが手記を書いてくれました。









初めまして、和歌山県紀の川市に住んでいる須藤と申します。
ともだちのFACEBOOKの記事をみてメールしました。
現在、私たち家族は妻、息子(2歳)娘(0ヶ月)の4人+犬&ネコで和歌山県に住んでいます。

震災&原発事故当時、栃木県の益子町に住んでて、原発事故直後に一人目の妊娠が発覚し、一時は大阪に避難したものの栃木県が妻の実家ということもあり、出産(2011年10月)は栃木県で済ませました。
その後、日常的に採る食物のベクレルを気にし、水を鹿児島から取り寄せ、砂遊び&土いじりをしだした息子の動きを気にし、絶えず被爆の恐怖を感じながらも、2013年10月頃まで移住の決断を出来ずに住んでいましたが、友人からの話しで和歌山県に住める所が見つかりました。

しかしその後も、妻の父の死や二人目の子の妊娠のツワリなどで、なかなか事が進みませんでしたが、3月末に引越す決心をし、長らく遊んだ友達や息子が通う保育園にも引越す旨を伝えました。


さぁいよいよ引越だ!と思っても、ちょうど繁忙期ということで、引越費用はおおよそ40万から50万円。
和歌山でのアテの無い新生活を考えると、そんなお金を出せる訳も無く、自分でトラックを借りて栃木から引越す事にしました。
ただし、その行程はハードなもので、一日目の朝にトラックを借りて積み込み、夕方に大阪(実家)に向け出発、深夜に到着し就寝、2日目は早朝から和歌山に移動、午前中のうちに荷下ろしを終わらせ、休憩をとり栃木県に向け出発、3日目の夕方までにトラックを返すというハードスケジュール、おまけにその数日後には家族を連れクルマで栃木から和歌山まで移動という感じで、お金をかけれない分、自分の時間と体力を極限まで使うという荒技で引越を終わらせました。

原発事故後、野菜や米、水を西日本から取り寄せ、ガイガーカウンター購入し、避難してる妻との二重生活にかかる費用や、避難してる妻に会いに行く費用、自営業の妻がお店を閉めている間の損失や引越に伴う費用など、どれだけ掛かっているのかを考えると、色々な事が嫌になる事があります。
事故さえ無ければ、栃木でゆっくり暮らせて子育て出来たのに、という気持ちは強く、和歌山は良い場所ですが、まだまだ引越したばかりで苦労も絶えません。

思えば、事故後3年掛かって引越しましたが、家族で色々考えた末の決心です。
たかだか電気を作るために、人の健康を脅かし、将来を不安にさせる原発は、ほんとうに要らないし、再稼働!と唱えてる人たちの感覚が一切分かりません。
和歌山での生活が落ち着いたら、東にいてる友達や家族が保養出来るように家を使えればいいな、と思ってる時に『おかとん移住者支援プロジェクト』を知り、もう少し前にコレがあったら!と思いながらも、一度メールしてみようと思い今に至ります。












関西に住む私達は

簡単に「移住しておいでよ」と考えます。

それは、もちろん、若い体が蝕まれている(であろう)事実に

胸を痛めているからですが

私達ができる支援が限られている現状を考えると

その事を口にするのを思いとどまってしまいます。




須藤さんは引っ越し時のご苦労を記してくれていますが

このご苦労は、全体のほんの一部だと思います。



私達にできることは小さなことですが

沢山の人が小さな支援を積み重ねることで

大きな支援につながるのだと信じています





支援プロジェクトはあと7枠です。