去年の今日


私は大学を絶望的な気分で卒業しました.


頑張って卒業したというより


もうホンマどうしようもないから

なんとか追い出した的な「卒業」


本当にどうしようもなかった私・・・


授業には1.2回くらいしか出れず

しかもずうずうしく試験を受け

レポートもテキトーに出し

で,中途半端な評価な単位をもらい


ギリギリセーフで卒業したという・・・


しっかりしたいっていう思いで留年したのに

意味ない1年の留年期間でした・・・


私は,それまではずっと無理ばかりして生きてきていました.


骨が折れてるにもかかわらずスイミングの試験受けに行ったり

ピアノの発表会出たり


舞台のお稽古中お腹痛すぎても我慢してダンスしてたら腹膜炎になり

公演3日前ギリギリまで入院し

手術したての身体で激しく踊ったせいで後々治療に時間がかかったり...


骨折してるのにギプスしずに・・・っていうのはしょっちゅうでした・・・


初めて自分と向き合う


無理をしない


というふうなスタンスをとり留年した私…


結局無駄だった気がします.


20代の1年って大きい.


無理をしないことで何かいいことがあったかといわれれば

なかったと思う.


1年自分と向き合ったからって何か劇的に変ったって事もない…


あの1年はなんだったんだろう


私のあの1年は人生をめっちゃ大きく変えたと思う.


家庭環境が急変するっていう予測不可能な事態が起こり


結局,大学院っていう目標にたどりつくのに


みんなより2年も遅れてしまいました….


遠回りもして


夢も1度諦めて


自暴自棄な生活で失ったものが多かったと思います.


寂しい思いもたくさんしました.


惨めに思ったことも.



でも,遠回りした分

いい意味でも悪い意味でもいろんな世界を覗きました.


強くなりました.


本当に自分が何をやりたいのか確認できた.


後悔って

いくらでもしようがあるんです.


ようは,よかった悪かったって

出来事に

後から意味づけているのは自分自身であって.


出来事が良かったのか

悪かったのか本当のところ受け取りかた次第で

誰にも真実はわからないのではないのかなぁって思います.


そう気づけたなら

もしかしたら無駄な留年期間も無駄じゃなかったのかもしれません.


これから起こる出来事でまた意味づけも変ってくるかもしれません.


けど,今去年よりも良い状態でいれることは素敵なことだと思います.


たとえ失ったものがあったとしても

失ったぶん,

また大切と思える出会いが訪れると思います.


いろんな別れがあっても

人生に本当のお別れはないと思います.

心の中での交流はずっと続いているはず・・・


困った時,どうしようって思った時

「あぁ,前にこんな時あの人がああ言ってくれた.大丈夫だった」


1つ1つの言葉を思い出すことがあるように

お別れなんてないとおもいます.


今は寂しくても

たまに寂しくても


キット大丈夫だと思います.


無理をしてやり遂げたことで今まで後悔したことはありません.

けど

無理をしなかった・自分のキャパを推定して見送った出来事って

後々とても後悔します…


私は今,無理をするか見送るか迷いどころにありました・・・というかあるのかな・・・


周りの人はそんなことで?

って思うことかもしれませんが

私にとってはたぶん今までで2番目くらいの危機というか課題です.


ほぼ進むべきだと友達からメールをもらったりもしました.


私は,無理をしてやり遂げたことで後悔したことはないし

失敗したこともない・・・


だとしたら・・・

無理をしてでも進むべきなんでしょうか.


もぅ心は壊れているのだから

これ以上壊れようもないしね…


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