17日はライヴでした!
なにげに久しぶりのステージでした。
ライヴらしいライヴができたと思います\(^o^)/
ライヴって生き物なんだよね。
ほんで、ライヴをする人間も生き物だから
「らしさ」が見ている人に伝わらないとすごく退屈なものだと思う。
テーマパークのパレードでもなければアートでもないし
半フィクションヒューマンドラマ、って感じだな!
人間らしさ、その人の「らしさ」を感じられないと僕は何においてもつまらなく思う。
てのが僕の持論ですてへぺろ。
話は変わりますが
僕は自分のことを割と普通の人だと思っていました。
でも、なんか、そもそも普通とは?って考えたとき
恥ずかしくなってしまった。
「普通」って比べる時に使う言葉じゃないというか
自分の中だけで使える言葉だな~と。
自分の普通は自分にしか理解できないじゃん。
だから誰かに対して「普通はさ」って無茶な話だなって思った。
僕が「それ変だよ」って思っても相手にとっては普通の事、って結構ある。
十人十色ってやつかな。
それでですね。
例えば大阪の人にお好み焼きはご飯のおかずにはならないよって言っても
大阪の人にとっちゃ普通だし、僕が「それは変だよ」っていうのはとても勝手なことだ。
僕には関係ないし大阪の人がお好み焼きをご飯のおかずにしなくなっても、僕はどうもしないしw
じゃあ
これから先を共に生きていこうとしてる人、結婚してる二人がいるとして。
女の人はお好み焼きをご飯のおかずとして考えてて、男の人はそうじゃなくて
お互いに「いやそこは譲れない」ってなったらお好み焼きのおかげで離婚しかねないね。
わお、おそろしい。
女の人がお好み焼きとご飯を一緒に出さないようにするのか
男の人が我慢してその先何十年もお好み焼きとご飯を一緒に食べればいいのか
僕は、どっちの立場でも嫌だなって思う。
自分の「普通」を捻じ曲げるのってつらい。生きててつらくなると思う。
もしお互いがお互いの立場で真剣に考えたら、相手の「普通」が理解できるかもしれない。
「なんで一緒に食べないの!?」
「なんで一緒に食べるの!?」
って表面にだけ疑問をもつようなら、頭では理解できても何も変わらないなぁと思う。
相手の「普通」にお邪魔して考えてみることが理解へつながるのかな。
今までそれが自分の中で普通だった事を否定されるとすごく窮屈だよね。
だけどもこれからずっと一緒に過ごしていくような人なら、我慢していくのも窮屈なんだよね。
お互いの「普通」をそのままに生きていくのって、お好み焼きとご飯を食卓に出さないようにする、なのかな。
答えなんてないのかな。
僕が言いたかったことは、「普通」って軽々しく使うもんじゃないなってことだ。
例外なく世の人にはそれぞれの「普通」がある。それはその人自身にしか変えられないもの。
僕は、嫌なもんは嫌だ。嫌なものを嫌々受け容れるのは恐ろしく窮屈で生きづらいことだ。
でもそれは僕以外の人も同じなんだね。なかなかどうして生きるって難しい。