久しぶりのブログになってしまってすいません😭
2019年、新曲のレコーディング中に突然【脳出血】で倒れ、原因を調べてみると10万人に1人の難病【脳動静脈奇形(のうどうじょうみゃくきけい)】が見つかった、難病インフルエンサーの間瀬翔太です。
(2019年7月当時の写真。手術前。)
あの時は、お医者さんに
「もしかしたら間瀬さんは難病かもしれない。」
と言われた時点で不安や【きっと違う】と言う希望の気持ちが有りました。
しかし数日でその希望は打ち砕かれました。10万人に1人の難病だと宣告され、頭を開いて手術も確実にやる。そして、もしかしたら【死ぬ可能性】もあるし【植物状態】や【半身不随】の可能性も言われた。
その瞬間にもなぜか僕の頭に浮かんだのは
「じゃあ来週のオーディションや撮影はどうすんだよ?」
と言う怒りの気持ちだった。
今思えば頭がおかしいとしか思えない。
だけど、芸能人なんてそんなモン。
少しネジが外れてるんだ。
僕はお医者さんに話した。
「分かりました。開頭手術は受けます。だから撮影とオーディションだけは行ってきていいですか?」
ここまでくると脳動静脈奇形のせいで頭が可笑しいんじゃなくて、そもそも可笑しかったんじゃないかと怪しくなるよね。
勿論お医者さんからの返事はNO。
脳出血してる患者を外出させる医者は居ない。
僕はその瞬間に激怒したし涙も流れた。
そしてパニックを起こして、てんかんの様な発作も起きた。(手足が痙攣を起こしピーンと伸びて口が開かなくなった。)
それから看護師さんがすぐに車椅子で僕をベッドまで運んでくれたのは未だに覚えてる。
そんな優しい看護師さんに僕は怒りのままご飯を投げつけてしまったり、点滴を抜いて困らせてしまった。
「お前に僕の気持ちが分かるのか!!」
本当にたった数日間の話なのに感情の右往左往が激しすぎた。
翌日すぐにその看護師さんには謝って、笑顔で許してくれた。
「患者さんあるあるだから大丈夫!」
SCUから手術室に運ばれるまでは10日以上その看護師さんとは一緒だった。
僕は今も芸能人として生きています。
まだ顔の左半分は少し痺れている部分があります。後遺症のてんかんや高次脳機能障害もあり今は障害者として生きています。でも【元気】だし【健康】に生きています。そして変わらず芸能人として生きて【看護師】と言う夢を持ち、現在は看護学校に通っています。あの時、僕を救ってくれた看護師さん。本当にありがとうございました。次はそのバトンを受け取り、僕が救う側に周ります。
(2019年8月。手術後。)
あの頃から身体だけじゃなく、心(精神)のリハビリも受けました。
これから沢山の人や、同じ病気の人を助けたいです。