僕が2019年の8月に、脳動静脈奇形で手術をした時。


脳動静脈奇形と言う難病自体が不安で、そこからいきなり頭を開いて手術をするなんて言われたから凄く恐怖を感じていたんです。


勿論手術後も激痛はしばらく続いていたし、リハビリや記憶障害で友達や親族や漢字や数学、色んな事を忘れてしまっていて、それをこれからどうしていけば良いのか‥。


全部まとめて恐怖を感じていました。


そんな時に全く誰だか分からない人からInstagramにDMが‥。


「ニュースで名前を見てもしや、と思い連絡致しました。おたずねですが間瀬くんって池尻小学校の卒業ではないですか?妹さんもいる間瀬くんですか?」


最初見た時は、当たってる!!

よりも誰だろう?!が勝っていました。

名前を見てみても分からない。

んー。と思いながらも返信。


『そうです!池尻小学校、池尻中学校の間瀬です!』


僕がそう返事を返すと、すぐに返信が届きました。


「わーすごい!間瀬くんに牛丼先生と名付けられた図工の先生の◯◯です。覚えているかな?」


すぐ分かりました!面白い物で、フルネームを見ても分からなくても【牛丼先生】と言うパワーワードを聞くと一瞬で記憶って蘇るものなんですよね。

そしてその我ながらのネーミングセンスの無さにも笑ってしまいました。


ただ、なんで牛丼先生と名付けたのかは思い出せなかったので先生に聞きました。


『わー!すごい!牛丼先生お久しぶりです!!なんで僕そんな名前にしたんでしたっけ?笑』


「たしか間瀬くん達5年生が社会科見学か遠足に行くのに朝早くに学校を出た時に、私が吉野家で朝定食を食べてるのを見つかってしまったから!


あれだけの大人数で、吉野家の前で

あ!◯◯先生居んじゃん!

と口々に言われめちゃくちゃ恥ずかしかったんだよ


そして翌日からは間瀬くんに牛丼先生と呼ばれるし😂」


と牛丼先生から明るい返信を頂けました。

(しかも食べてたのは定食なのに。笑)


僕には1つ年下の妹も居るので牛丼先生のあだ名はウチらが卒業後もしばらくは学校で残り続けたパワーワードになってしまったそうです。


当時からインフルエンサーの才能があったのかな??笑


でもそんな牛丼先生やファンや家族からのエールのおかげで難病に立ち向かえる現在の僕が居るんだな。

とも思いました。


僕は今でもバラエティ番組やライブ配信で陶芸を作ったり、おせんべいを焼いたり、ピアノのペダルを磨いたりと色々やっているけど、それは紛れもなく僕が図工が大好きな子だったから。そして図工を丁寧に優しく教えてくれた牛丼先生が居たから。


先生って何年経っても、やっぱ先生なんだなって少し心が温まりました。

ありがとう。

カツ丼せ‥、あ!牛丼先生!!


🤣