本日、2022年8月7日で脳動静脈奇形の手術から遂に3年経ちました。

と言ってもまだ少しも忘れていないし、めちゃくちゃ繊細にあの日の事は覚えているけどね。



実は脳動静脈奇形で開頭手術をすると、術後2〜3年はまだ再出血率が高いと言われています。

だから歌もまだ本気では歌えないし、演技で叫ぶときも本気では叫べなかった。

運動だって全力では出来なかった。まぁ。ただでさえ【てんかん】をもっているせいで大好きなプールや海に入れなかったり、入れても浅い場所だけだったり、お風呂もおへそまでしかお湯が入れられないとか制限が掛かってて人生が楽しめなくなったんだけどね。


でも今日から運動とかは楽しめる!

歌だって本気で歌って良いし、本気で騒いだり叫んだりする演技だって出来る。

脳出血したあの日にタイムスリップする気分だ。あの日が本気で歌った最後の日だ。


あれから怖く人生なにごともセーブして生きてきた。


信じられないかもしれないけど、僕は未だに集中治療室の隅々の記憶も、指についたサチュレーションの匂いやベッド周りの匂いも、看護助手の人が車椅子でわざわざ日光を避けて遠回りして僕を目的地まで毎回運んでくれて居た事も。本当に今でも忘れない。


SCUって、脳専門の集中治療室(ICU)って感じだから悲しい時もたまにあるんだ。


そもそも広くはないから入れる人数なんてめちゃくちゃ少ない訳で、僕は手術が決まってたから結構長く居た方なんだけど一般病棟に移動が決まった人とかは、その話を看護師さん達が話してるのが聞こえてきて、その後に移動してる。そしてベッドが1つ空く。


でもたまに違う場合がある。

全く移動の話が出てないのに夜、トイレに行こうかなぁと思って起きたら看護師さんや先生が、1人の患者さんの周りに集まっていて何か話してる。

僕はトイレに行くのを伝えて、トイレが終わったらまた戻って眠る。

そして翌日早朝に歯磨きに行くとそのベッドから患者さんが1人居なくなっている。

なんかSCUは少し怖かった。

短い期間でそんな人を2人ぐらい見た。

もう1人は夜中に凄く暴れて居て(大声を出すとかでは無くてバタバタしていた)、やはり朝には居なくなってたし、戻ってこなかった。自分もそうならない様にしなきゃ、って当時は凄く怯えていたし、恐怖だった。懐かしいな。


そして3年経った今、脳動静脈奇形の再発率はグーンと下がったんぢゃないかな?!と思ってる。

勿論完全に安心しきってる訳ではないけど、ようやく心から落ち着ける。


ただ、この大切な3周年と言う日に僕は人生初のコロナに罹ってしまったけど、それすらプラスに変えられたらなと思っています。脳動静脈奇形の人がコロナに罹ったらどうなるかをブログで発信するまで!

変な後遺症が残るのか、大丈夫なのか、僕にしか出来ないことがきっとあるハズ。

10万人に1人だって、障害者だって、難病患者だって、決して弱くない、そんな自分だからこそ出来ることがきっとあるはず!

光り輝け☆