お父さん方のおばあちゃんが今週の月曜日夕方16時30分に天国に旅立ちました。
心不全でした。

おばあちゃんは岩手県宮古市に住んでいて、僕が小さい頃に夏休みになると2、3年に一度岩手に行って遊んで貰ってました。
(右は妹です!岩手のお祭りかな?)

おじいちゃんは僕が保育園ぐらいの頃には亡くなってしまっているので、物心ついた頃からおばあちゃんは1人で居るイメージでした。
赤ちゃんの頃はおじいちゃんおばあちゃんとかが常に居てくれたみたいなんだけど、記憶に無いから残念です。

いつも岩手に帰ると、おじいちゃんのお墓参りに一緒に行って、お墓の周りで爆竹や花火(これ岩手県宮古市だけらしいですね。お盆の時は盛大にお祝い?をしてました。これを小学生になって東京で言ったらビックリされました。*笑*)をやって、ご飯食べて、おもちゃも買って貰って、お風呂入って、夜は玄関の前に鉄の皿を置いて、そこに松ぼっくりだか松の枝?を入れてまた花火を一緒にやる。
家の敷地の地面に花火で家族の顔書いたりしました!懐かしい。*笑*

とにかく小さい頃から難病とは、
程遠いヤンチャボーイでした。
今思えば、よくこんなウルサイ子と朝から晩まで遊んでくれてたよな、おばあちゃん。


逢えない年も、家にシャツを送ってくれたり。
👆このシャツなんだけど、撮影の時も着てました。

高校生の時には手紙とお財布を送ってくれたりもしたな。

そして2011年は東日本大地震があったけど、おばあちゃん家あたりは大丈夫だったみたい。

でも、その辺りから【認知症】が出始めました。
同じ料理を何回も作っちゃったり、さっき書いた玄関に置く皿の上に松ぼっくりを置く奴を何枚も置いたりして、近所の方が心配したり。
最初はお父さんが心配して、よく岩手県に月に数回帰ったりしてました。
ただお父さんもめちゃくちゃ休みが少ないので、結果1〜2年後には関東の老人ホームへ。

それからは妹も僕も逢いにいっていました!
甘いものが好きなので、お父さんとよくスーパーに寄ってコーヒーと何かお菓子、日によって何ですが、どら焼き(これが一番多かったかな)、水ようかん、あとは何故か塩っぱいのが食べたいと急に言い出したから煎餅!!

これウケるのが、おばあちゃんが塩っぱいのが良いって言うから次回は煎餅(せんべい)買っていったのに持っていったらおばあちゃんが

「あー、甘いの食べたいなぁ」

って!

おばあちゃんがいったんぢゃん!!*笑*
ってなりました!U^ェ^U

あとは、

「翔太くんはもう大学生?」

とか!もありました!
僕もう32歳(当時)だよ!!って*笑*

なんか昔は沢山おばあちゃんにツッコまれてたけど、今は僕がおばあちゃんにツッコんでるみたいで、それはそれで楽しかったです。

認知症って悲しいし、寂しいけど、
その中でも出来る限り【笑い】を忘れない
それがなんかおばあちゃんと僕とお父さんの
絆だった気がする。

そして2019年、僕が難病で倒れて
コロナも流行り出した時期。
おばあちゃんに逢える回数が極端に減りました。
2020年にはお父さんのお兄ちゃん、おばあちゃんからしたら長男が亡くなった。
2021年は一度ぐらいしか僕も会えてなかった。

そんな中、

「おばあちゃんがもう限界かもしれない」

と、お父さんから聞いた。
病院から連絡があって、
出来る限りの治療はやり尽くしたので【療養病棟】に移動しますと。

そしておばあちゃんは先週の金曜日が、
かなり危ない日だったみたいで

ドクターやナースの方達が

「日曜日になったら息子さん(父)やお孫さん(僕)が来ますからね!!」

と言って応援してサポートしてくれていたみたいです!おばあちゃんの体調が急激に悪くなったタイミングと、僕とお父さんのスケジュールが合うのがその日しかどうしても無くて日曜日になりました。
そして日曜日の朝にすぐ病院に向かいました。

療養病棟って、初めて入ったんですが
今まで僕が見てきた病棟とはまた違う空気。
一般病棟、ICU(あとSCUも)を見て来たけど
どちらも雰囲気はまた違ったけど
ここはまた雰囲気が違う。

病院だから静かは静かなんだけど、静寂。
勿論叫び声や荒い呼吸も聞こえるんだけど
空気感的に静寂と言うか不思議な感覚でした。

そこで看護師さんが迎えに来てくれて
おばあちゃんに逢いにいきました。

おばあちゃんは、前に一度お父さんが逢いに来た時は凄く荒い呼吸で、ほとんど叫んでる様な感じになっていたみたいなんだけど今日は少し呼吸がしずらそうなだけで静か。

コロナもあるから5分間だけ会うことを許して貰えました。

まずはお父さんがおばあちゃんの近くに行って
最初30秒ぐらい話してました。
それから、

「俺よりお前が話した方がいいだろ。」

と言ってお父さんと僕が交代しました。

元々おばあちゃんはメッチャ身長がデカくて
ガタイもよくてめちゃくちゃ強そうでした。
そんなおばあちゃんが、
僕は小さい頃から大好きでした。

久しぶりに見たおばあちゃんは老人ホームの頃に比べると、髪の毛がだいぶ抜けちゃってました。
そして薬(点滴)の副作用や浮腫なのかな?
顔と首が同じぐらいの太さになっていました。
でも肩を触ったら、どこにも肩が無くて

「あれ?!あれ?!」

と思ったら顔や首と合わないぐらい細くなってて、
そこで全部繋がりました。

「そっか。大変だったんぢゃなくて、めちゃくちゃ大変だったんだね。本当に頑張ったんだね。」

僕も脳動静脈奇形の時に本当に怖かったけど、
未来を信じたし、光を見た。
おばあちゃんも僕達を信じて、見てくれてたんだ。

と思ったら僕もあと3分ぐらいやれる事をやろうと思いました。
(ここからは僕自身もあまり信じられなかった事なんですが、看護師さんや医療従事者さんに聴くと、よくある事らしいです!)

おばあちゃんはもう目も白くなっていて多分見えてません。呼吸するのが精一杯な感じでした。
そして顔も真上を見ているだけで動く様な感じでは無かったので僕からおばあちゃんの真上まで身を乗り出し

「おばあちゃーん!翔太きたよー!?わかるー??お父さんと遊びきたよー!」
(いつも岩手帰った時や老人ホーム行った時に言ってた言葉)

勿論、全く無反応。

とりあえず3回ぐらい全く同じ様な言葉を
言い続けました。

そしたらおばあちゃんの呼吸が1度止まりました。

「え!!!」

と、パニクっちゃって、
すぐナースコールを押そうとしたんですが
お父さんが

「顔!!」

と教えてくれて
僕もおばあちゃんの顔を見ました
すると

なんかグシャっと苦しい様な
嫌がる様な顔??

を3秒ぐらいして、
その後にまた元の無表情に戻って
呼吸も落ち着きました。

あの後に看護師さんや医療従事者さんに聞いたら
実はこれはよくある事らしいんです。
どんなに無反応や、体調が危ない患者さんでも
耳は聞こえているそうです。

リアクションが返ってくるのは稀ですが、
ちゃんと患者さんには声は届いてるので
必ず皆さんも話しかけてあげてください。

そして、その後は何度か話しかけて見ましたが
何も反応はありませんでした。
その日はおばあちゃんとバイバイして、
お父さんと帰りました。

そして、

































翌日、月曜日の16時半におばあちゃんは
天国に旅立ちました。
丁度僕はその時に生配信を終了した時間帯。
お父さんから

「おばあちゃんが今亡くなった。」

って連絡が来ました。
おばあちゃんはちゃんと僕が落ち着いた時間帯を考えていたのかな。

そして、
本当に最後のチカラで頑張ってくれたんだね。
もしかしたら昨日逢えなかったかもしれないんだ。
おばあちゃんが頑張ってくれたから最後逢えたんだね。あの顔クシャも最後のチカラだったのかな。

やっぱ、僕のおばあちゃんだけあって




めっちゃパワーあるね!!!!!
本当にかっこいいし、凄いし、
天国に行ったって沢山友達が出来るハズ。

生きてる間は呼吸が苦しくて、
あんま眠れなかったしょ。
だから天国でまずは好きなだけ眠ってね。

これ僕からのプレゼント!
おばあちゃんと、大好きな息子と、孫の
スリーショット☆

あとおばあちゃん!
僕は大学生ぢゃなくて、
准看護師目指すから専門学生かもだね!😁