寝て起きたら全部ただの悪夢だったら良かったのに。
そう、今回の地震が起きた翌日の朝思いました。
阪神淡路大震災を経験したので、とても他人事には思えず胸が痛みます。
テレビに釘付けになり、twitterで有益情報を少しでもリツィートし、早急にしかるべき団体へ寄付をしましたが、テレビのむこうで家族と会えなくて泣いてる人がいるのに何もできない無力感が辛いです。
大学時代を共に過ごした友人の安否もわかりません。
仲間で情報のネットワークを作って、居場所を探っています。
阪神淡路大震災当時は、15歳でした。
私は幸い大きなタンスや家具類の下敷きになったものの家族も家も無事でした。
それでもたくさんの怖くて悲しい思い出ができました。
時間を置いて次々と建物が崩れていく不気味で大きな音。
血みどろで運び出される近所のおじさん。
学校にたどり着いたら、部活用のスペースに並んだたくさんの遺体。
もう会えなくなってしまった友人と後輩。
毎日鳴り響く取材か救助のヘリコプターの音が不安を煽りました。
あの時、ボランティアをはじめ全国の方に救われました。
炊き出し、自衛隊の人が用意してくれた仮設のお風呂、全国からの募金で用意された物品の支給。
何とか再開した学校で配られた給食。
家によって被害状況が違うので、給食の中のお菓子を家族に持ち帰るクラスメイトもいました。
普段は疎遠な近所づきあいだったのに、みんなで助け合ったり情報交換をしていた日々。
日常が戻るにつれて元の関係に戻ってしまったけど、それがまた日常を取り戻した幸せを実感させてくれました。
ただ生きてることを喜び合う人の温かさにどれほど励まされたことでしょうか。
高校も仮設校舎にしばらく通学していました。
支給されたノートと鉛筆が本当に嬉しかった。
ちょっと感傷的になってるな。
できることはわずかですが、自分が助けてもらったように、出来る限りのことはしたいと思います。
あとはひたすら祈るのみです。