7/6 おはクラ放送後の呟き | マーシー山本教授のゆるゆるクラシック日記

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今週と来週は番組でガーシュインの「パリのアメリカ人」を取り上げます。


今週はガーシュインのアメリカ音楽における位置付けについてお話しします。
ジョージ・ガーシュウィン(1898-1937)は、20世紀アメリカの音楽界において極めて重要な位置を占める作曲家およびピアニストです。

一般的には彼の作品はクラシック音楽とジャズの要素を融合させ、アメリカ音楽の独自性を確立するうえで大きな役割を果たしました。


①ガーシュウィンの主要な業績と影響(クラシックとジャズの融合)
ガーシュウィンはクラシック音楽とジャズを融合させることで、新しい音楽スタイルを生み出しました。彼の代表作『ラプソディ・イン・ブルー』(1924年)はその典型例で、クラシックの形式とジャズのリズムとハーモニーを組み合わせています。


②ミュージカルの傑作
ガーシュウィンは兄のアイラ・ガーシュウィンとともに、多くの成功したミュージカルを作曲しました。『ポーギーとベス』(1935年)はその中でも特に有名で、アメリカンオペラの金字塔とされています。

③後世への影響力
ガーシュウィンの音楽は多くの後進の作曲家や演奏家に影響を与えました。彼の斬新な音楽スタイルは、後のアメリカンポップ、ジャズ、そしてクラシック音楽の発展に寄与しました。


④国際的評価
今でもガーシュウィンの作品はアメリカ国内のみならず、国際的にも高く評価されています。彼の音楽はアメリカの文化を世界に紹介する役割は大きかったです。世界中の国々で演奏され続けています。


ガーシュウィンは、その短い生涯の中で多くの革新的な作品を生み出し、20世紀のアメリカ音楽に深い影響を与えました。

その結果、彼はアメリカ音楽史において重要な位置を占める人物として広く認識されています。


そんな影響力のあるアメリカを代表する作曲家ですが、本格的にクラシック音楽を学んだ事はなく、オーケストラ作品は組曲「グランドキャニオン」の作曲者のグロフェの力を借りています。

その代表曲は「ラプソディインブルー」です。

 

しかし、今回おはクラで取り上げたパリのアメリカ人は、ガーシュインが全てオーケスレーションをしました。

ガーシュインはオーケストラの楽曲を作曲するにあたり著名な作曲家にお願いにいきました。

その作曲家は誰でしょう?そして、結末は!


ジョージ・ガーシュウィンは、生涯において複数の著名な作曲家に作曲の指導を求めましたが、いくつかの理由で断られています。

以下に、ガーシュウィンが作曲を習おうとして断られた主な作曲家たちについて説明します。


まずは、モーリス・ラヴェル です。
ガーシュウィンは1928年にラヴェルに作曲を学ぼうとしました。

ラヴェルはガーシュウィンの作品を高く評価していましたが「あなたは既に非常に優れた作曲家です。私の影響を受けてあなたの個性を失うことを恐れます」と告げ、指導を断りました。

ラヴェルはまた「なぜ二流のラヴェルになろうとするのか?一流のガーシュウィンであり続けるべきだ」とも言われています。


次に門を叩いたのは、イーゴリ・ストラヴィンスキー です。
ストラヴィンスキーもまた、ガーシュウィンの才能を認めており「あなたの作品は素晴らしい。指導を受ける必要はない」として断りました。

ガーシュウィンの財政的な成功も一因であり、ストラヴィンスキーは「あなたがどれだけ稼ぐのか?」と尋ね、ガーシュウィンの答えを聞いて「私に作曲で稼ぐ方法を教えてください!」と言ったといわれています。


これらの作曲家たちは皆、ガーシュウィンの独自の才能を尊重し、彼が自分自身の道を歩むべきだと信じていました。

 

今回の動画

https://youtu.be/aPXHX-2O00s