昨日書いたところのmixiの日記とやら"Vietnamese Wood"
mixi日記20101225-20110109「ベトナムの家具」"Vietnamese Wood"
第一章 脱北 (夢であることを思考させる隙を与えない夢)
私には、詳細に記述することができるが、それは、生きていた者への冒涜なので記述しない。
ある朝、私は Oosaka の「キタ」にいた。しかし、そこは「キタ」ではなく「北」であった。余力のあるうちに、「北」の深部に連れて行かれないうちに、「ミナミ」へ「脱北」しなければいけない。
かねてから噂の聞き伝えによると「脱北」は容易ではなく、さらにいろんな「トラップ」が仕掛けられている。そして、そこで幸運にも出逢った「ミナミ」の人から、忠告を受けた。
~
「何処へ行くんですか」、「身なりは良いですね」何度となく私は呼び止められたが、無視をした。そうして、バスターミナルに着いた (「キタ」と「ミナミ」なんか「御堂筋」を歩いてゆけば良いくらいでどうしてこんな距離があるのだろう)。
どうやら、「南」から「北」へ観光に来る人がいるようなのだが。「煙草くれませんか」、「切符を買うお金を貸してもらえませんか」また、何度となく呼び止められる。バスに乗って、終点まで辿り着いた。電車の始発駅がある。降車ホームは在るのだが、乗車ホームがない。私は、降車ホームから無理やり、電車の最後尾車両に乗り込んだが、私を不審に思い、後から付けてくる人物がいる。私は次の車両に向かったのだが、血まみれの死体が転がっていた。連結部で振り返ると、最後尾車両に生存した人など居なかった。次の車両では数名の生存者が居たが、薄汚れていた。その次の車両で、ギターを弾く若者が通路を塞いでいた。こいつに退いてもらうのも億劫だったので、その演奏を聴いているふりをしながら床に座った。こいつはギターを弾いているのだが、何も演奏していなかった、音はしなかった。電車の振動すらしなかった。ただ、血生臭いだけなのである (だいたい、何故「地下鉄御堂筋線」じゃでもないんだ (「環状線」ということは、バスに乗ってしまったので有り得ない))。
次の駅で私は降りることにした。私は、まっすぐな道をひたすら歩いていた。上着が剥ぎ取られていた。シャツは、いつの間にか、他人の血で染まっていた。
~
あと少しで、「天王寺駅」の手前だった。私は、見知らぬ (ここで遭遇した者たちは皆見知らぬ者たちだったが) 女性に脇腹の贅肉を掴まれた。「脱北者にしては贅肉がある」と想われただろうか、「わりと上層部の階級の者」だと想われただろうか。私が「ミナミ」の人間だとは信じて貰えそうにない。そこで、夢から覚めた。冷や汗はかいていない。
-memo-
今日は、ここまで。できれば思い出したくない。しかし、忘れることも出来ない。だから、今日はここまでしか書けない。
20110109 バスのことを少し書いた。電車のことは少しだけ詳細に書いた。
第二章 妻
私の脇腹を摘まんで、夢から目覚めさせたのは、私の妻であった。
「何かひどい夢を見ていたようだけど」と妻は慰めるように云った。
「見知らぬ人に摘まれたような気がしたのだけれど……」と私は云った。
そこは、「キタ」でもなく、「ミナミ」でもなく、間違いなく「武蔵野」だった。妻の名前は、総理大臣の妻と同じだった。「慰め」ではなく、総理大臣の妻のように「指標」を云ったのかも知れない。この名前の持ち主は、夫より意志が強いのかも知れない。
あるいは、妻は私がそこから脱出することを今は未だ拒んでいたのかも知れない。「未だ出してはダメよ」と云わんばかりに。(未だ脱出してはいけない?) それはどういう意味なのか、私は何から脱出 (あるいは逃げようと) しようとしていたのだろうか。
脱出するときは一緒にという意味なのだろうか。多分、森からなのだろう。それは、どんな森なのだろうか。ここは何処なのだろうか。その森には井戸はあるのだろうか。私はその井戸の蓋を開けて、何かを叫びたい。でも、言葉が浮かばない。妻へのクリスマス・プレゼントを渡しそびれている。四十歳代女性向け雑誌のおまけの鞄と、駄菓子チョコレートのクリスマス・チョコレート・ケーキ。何かが足りないと想っていたのである。プレゼント用の包装紙替わりの鞄とおまけのチョコレート・ケーキである。肝心なものが欠落している。クリスマス・カードなのだろうか。その森の何処かに言葉はあるだろうか。全て井戸が飲み込んでしまったのだろうか。
妻は自殺未遂をしたことがある。私は救急車を呼んだ。妻は助かった。
第三章 みなみ
その女の子は「自分のことをは、「ななみ」と呼んで」と云った。妻が自殺未遂をしてから何年か後のことだ。彼女は私の舌使いにやけに感じた。初めての時「感動さえした」と云った。私は妻のことを、時折忘れたいと思っていた。そうしなければ耐えられなかった。私は、「みなみ」を何度か抱いた。
妻は「みなみ」存在を知らない。しかし、もしかしたら、先程の夢でばれてしまったのかも知れない。妻は、再度私が「みなみ」のところへ行くのを拒んだのだ。しかし、私は「みなみ」のところへもう行くことは出来ない。「みなみ」は忽然と消えたのだ。それは、私が妻を手放さなかったからだ。
私は、妻ともし結婚していなかったら、「みなみ」と結婚したかった。
20110109
第三章 年賀状
妻に鞄とチョコレートと年賀状を渡した。妻は私を昔のように疑っていなかった。疑われる筋合いもないのだが、時折、妻の妄想がそうさせる。"Two of us" なのだ。
妻は何故か、機嫌が良かった。多分、チョコレートとプロポーズの時に渡した絵本の原書を持って行ったからなのだ。妻は、人に教えるほど英語は得意である。
第四章 井戸
井戸には本来の使われ方以外に、昔から物語のモチーフに用いられる。古くは、「王様の耳はロバの耳」のあるバージョンで、理髪師は「秘密」を古井戸に向かって叫ぶ、この場合、話の最後は、空から「秘密」の言葉が降ってくる。別バージョンでは、理髪師は穴を掘って「秘密」を叫び、再び穴を塞ぐ、この場合は、そこから生えてきた、野の花が風がそよぐ度に、「秘密」を唄う。別の物語達では、ある人物は古井戸に落ちて死に、場合によっては幽霊となって、古井戸から叫び声を上げる物や。またある物語では古井戸に落ちて何日か生存している話である、井戸から見えるのは、太陽だったり (この場合井戸は枯れ果てている)、一つの星だったりする。
井戸に人は何故落ちるのかというより、使われなくなった井戸に訪れる人が居ないことが致命的なのである。忘れ去られた所に古井戸がある、物語の登場人物は誤って転落してしまう、あるいは故意に落とされる。
忘れ去られた井戸は、同じく忘れ去られた暴力を内在している。
「井戸」が親切に描かれたのは、「星の王子さま」ぐらいかも知れない。
私は、それ以来、素敵な井戸の話を渇望している。
村上春樹の「風の歌を聴け」に登場する「火星の井戸」はフェイクである。