【寝起きの駄文「句読点を使わないと読み辛いでは無いか」】
2020-06-02火曜日
何処に書こうがみんな3行以上読みたくないような気がする コロナ禍で無駄口が叩けないので なにかストレスが溜まっているだけだと思う
句読点を使わないのは、掲示板に文字数制限がかつてあったろうか。チャットに句読点を使わなかったからだろうか。チャットで長文を書こうとすると句読点を付けている暇がないというか、私の話し言葉にそもそも句読点はあるのだろうか?
自称?巨大掲示板(前述の掲示板はNiftyとかでここで言う2ちゃんねるではない)で、句読点を使わなかったのは、句読点の使い方の癖を、アルゴリズム解析すると、その匿名掲示板の中で誰だか特定されるからだろうか。
句読点の代わりに。「、」の代わりにスペースを「。」の代わりに改行を入れたらひどく嫌われた。(段落分けには空の1行を入れた。)今で言うところの侮蔑的な「ポエマー」という和製英語で表されるようなものだろうか。(小泉進次郎が中身の無いことを話しても「ポエム」と揶揄されるだけで「ポエマー」などと言う侮蔑的な呼ばれ方はされなかった。流行語大賞に「ポエム」がノミネートされたときは、「ポエム」という言葉に対して侮辱的だとみんなで発信した。)
嫌われたのは自称?巨大掲示板の連中は3行以上読みたくないから(読めないのか読む暇がないのか)だったかもしれないけど。
むかしの深夜ラジオで若い女性DJ(落合恵子だろうか?)が、もそもそ喋るのをポエムと言い出したのだろうか。
その延長線のような、日記の隅に書くような文章を、少女漫画のコマの心象風景に書くのがあった。読者や年代の近い漫画家が書くのをポエムと呼んだのだろうか。
私の姉はこんなことすら書けないと言うか、日記も書けない馬鹿だったから、それよりはマシなのだろうか。姉は発達障害だろうか身内をこんなふうに小馬鹿にしていて、自分も五十歩百歩どころか同類のような気もする。ならば私の書いているのは、その揶揄するのに使われた意味での「ポエム」以下なのだろう。
なんの話だ。私は句読点を使おうとして、どの辺りで打てばいいのかわからなくなるのだ。仕様書を書くときなら、句読点を付けるところは、個人の好き勝手ではある意味ないのだが、私的な文章を書くときは個人の裁量なのだ。裁量などという責任は負いたくない。
ダラダラと書いてから句読点を読みやすいように付けてみた(句読点をあとから付けるというのも厄介だ)。
「私ね、だから、こう思うの、〜なのかなあ。」
こんな感じだっけ落合恵子(そんなころ1967年〜78年)はまだ小学校低学年だったから深夜ラジオなんか聴いていない。()書きで何年頃か書いてみて後年深夜ラジオを聴いていた頃に被るではないか。多分落合恵子のラジオDJの晩年は、若いのを売りにはしていなかったんじゃないかな。(ああいうメディアでは30才を遠に過ぎるとオバサンなのだ)つまりティーンエイジャーが聴くような番組にはもう出ていなかった。だから聴いていない。
じゃあ、どんなのを聴いていたかというと、ティーンエイジャーに話し掛けるような深夜ラジオである。←放送作家が多分そんなふうに書いているのだ。(多分にDJの裁量にまかせているような錯覚に陥るが)落合恵子ですらエッセイを書いているうちに小説家になっていないか?