最期の点検遠征 | 浮浪人間への道 = Road to Groningen!
多くの人は理解してくれないこと。
 
車の点検のために90km遠方のディーラーに通っている。
それも、愛車は貨物車であるため点検が半年ごとにある。
年2回、湘南台(神奈川県藤沢市)まで通っている。
 
愛車サクシードを買った際の営業担当(以下K氏と呼ぶ)のもとに通っている。
買った際の店舗は港北だったが、そのうちK氏の異動によって湘南台になった。
車を買ってからずーっと通ってかれこれ11年。
 
営業担当を追いかけて遠方のディーラーまで通っている。
そう近しい人に話すと「理解できない」という。
 
ちなみに「きっと親しい関係なんだね」とフォローされるが決してそんなわけでもない。
だから余計に理解されない。
 
これはおそらく「腐れ縁」というものだ。
 
このサクシードは2015年春に中古で購入したもの。
当時、小淵沢(山梨県北杜市)に住んでいた。
トヨタの中古車ウェブサイトで探して、実物を見に出かけた。
思った通りで申し分なかったために購入を即決した。
 
先方が自分の営業担当にK氏をつけてくれた。
これはK氏が登山をする人で、八ヶ岳南麓の小淵沢という土地柄に理解があるから。
会話が成立しやすいだろうという理由だと推測できる。
 
年に2回しか会わないK氏とは実際にはそれほど会話が弾む仲ではなかった。
それが変わったのが、自分が登山をするようになってからだった。
4年くらい前からのことである。
 
山の話をして、自分よりも山歴が豊富なK氏におすすめの山情報をもらったり。
自分の山アプリを見せたり。
 
山の話が弾むようになったのに、残念なのはK氏が山をやらなくなったこと。
足腰などの不調があるらしい。
それに加えて、家庭の事情なども。
 
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春の点検は、自分がユーザー車検を通す前後にお願いしている。
 
今回は珍しくK氏側から2月のうちに打診があった。
例年自分から車検後に打診して5月くらいに点検をしてもらっている。
 
「3月に自分でユーザー車検するからその直後で」とお願いした。
 
というわけで、今回の藤沢遠征はユーザー車検から数日後の3月13日だった。
 
K氏と点検についての打ち合わせをする。
すると、思ってもいないことを告げられた。
 
K氏「会社辞めることにしたんです」
自分「えっ!どうしたんですか?」
 
K氏の言い分は十分理解できるものだった。
 
・彼は母に続いて、最近父を亡くしていた
 
・父の残した家に嫁と子供と住んでいるがちょっとした裏山の崩落があった
→ハザートマップでレッドゾーン(危険区域)に指定されてる場所だった
→嫁が住み続けるのを嫌がった
→土地も建物も高くて近場では買えない
→神奈川では将来の自然災害のリスクが高い
→子供を自然豊かなところで育てたい
 
ということで引っ越すことにしたのだという。
 
K氏はディーラーの営業職をずっと続けてゆくのだろうと自分は思い込んでいた。
恵まれた待遇だろうから辞めることはないと思っていた。
だから、K氏がいる限りはついて行こうと思った。
 
K氏は自分の懐事情を知ってくれている。
だから、良心的な価格で点検の見積もりをしてくれる。
任せて安心、楽ちんなのだ。
 
「そういうことなら自分は今後藤沢のこの店舗には来ませんから」という流れになった。
 
当然の流れである。
 
11年続けてきた「年2回の点検遠征」という習慣がこの時をもって終わりを迎えることになった。
 
【当たり前の日常はある日突然終わりを迎える】
このことを最近よく痛感するのだが、今回もその例になった。
 
心にぽっかり穴が空いたかのようだった。
 
ちなみに湘南台の店舗は実験的店舗になっている。
店舗が「アウトドア」のショールームを兼ねている。
車中泊仕様のハイエースとかが色々置いてあって、待ち時間もそこそこ楽しめる。
 

 
K氏の話、続きがある。
 
彼は今後、小淵沢に定住するという。
驚きは続く。
子供は春から「小淵沢小学校」に通います、と。
「大滝湧水」のあたりに借り暮らしを始める、と。
 
自分は小学校隣の市営住宅に住んでいた。
大滝湧水は自分にとって「癒しのスポット」だった。
近いから歩いてよく出かけたものだ。
 
今後小淵沢に行くことは少なからずある。
山のことで、オルガンのことで。
 
骨折がそろそろ治りつつある。
山に出掛けたい。
 
八ヶ岳のデビューはこれからだが、その時はきっと近い。
意外にも行くことが多い、小淵沢方面。
 
K氏の個人番号を教わった。
自分「今度ゆくことになったら連絡します」。
 
人生は何が起きるかわからない、と思った。
 
ちなみにK氏は51歳だと判明した。
平静を装ったがこれがいちばんの驚きだった。
 
相当年齢が上だと思っていたのに、まさかほぼ同年だったとは。
50歳という年齢は「このままでいいのか」と考させる年頃なのかもしれない。