【日本百名山】飯豊山 | 浮浪人間への道 = Road to Groningen!

幻となったお盆休みの計画。

台風5号のせいで変更を余儀なくされた。

 

知床連山を1泊2日で尾根歩きするためにテントや大きいザックを買った。

その装備を持って行ける本州の山を天気なども考慮に入れて決めたのが飯豊山。

台風5号が去ったあとの8月14日から三日間を山行に充てることにした。

 

8月13日、支度をする。

夕方にさいたまを出発、下道で北上する。

目的地は山形県西置賜郡飯豊町大日杉登山小屋前駐車場。

 

新国道4号、400、121号線を経由。

宇都宮、那須、南会津、会津若松、喜多方へと北上。

栃木県内で激しい夕立に遭ったが、同日23時頃に到着。

すぐに寝る。

 

8月14日、5時半に山行開始。

駐車場は虫だらけ、メジロと呼ばれているアブ・ブユなどが車の扉を開ければ大量に入ってくる。

ザックの重さが計測したところ20kgと重量級、あとで後悔した。

今回の大事な教訓として、登山は軽量であるべし。

 

この大日杉コースというのはいくつかある登山口の中で標高が高い1つだった。

そして、主脈尾根筋までの距離が短いというのが選んだ理由。

だが、その分落差が大きく、往路は急登、帰路は急落となる。

コースも歩きづらい箇所が多くて、苦労した。

 

夏山も久々だった、かつて懲りたことがあった。

暑くて汗まみれ、衣類が濡れる。

天候が読めない、突然の雨、夕立、かんかん照り。

不快な虫、ヘビやカエルなど数多生物がいる。

 

過去一の辛い山行、もはや地獄だった。

いろいろ後悔した。

夏の時季に登山に来たこと自体だめ。

ザックが重すぎて、ただでさえ距離が長いのに進まない。

 

1時間遅れて連峰で最初のピーク「地蔵岳」にきた。

ここまでなかなかの急登を終えて、滝のように汗をかいていた。

たっぷり持ってきた水分がもう半分以下しか残っていない。

水分消費が激しい、そして多汗は極みとなった。

 

この後、天気が想定外の雨が降り始め、昼には本降りとなった。

主脈に出て、最初の小屋「切合小屋」に着いた途端に豪雨となったため雨宿りになった。

そのまま、今日はここで小屋泊と予定変更をした。

この日「御西小屋」に宿泊予約をしていたから電話でキャンセルした。

 

雨のせいで、装備品やザックの中身までずぶ濡れとなった。

靴の中まで大量の水で溢れて、もうどうにでもなれという気分だった。

それらをなるべく乾かす努力を小屋で実施した。

結局、翌朝になっても乾くはずはなかったのだが…

 

更なる計画変更をせざるを得なくなった。

三日間で大日杉小屋から朳差岳を縦走してピストンする壮大な計画はかなりの強行軍。

 

今回の重装備では無理があった。

思う歩速で進めない。

想定に入れていなかったのが暑さによるバテ、水分枯渇。

携行する水分は必要最低限でも重たいのだ。

 

そして、台風7号が発生して明後日には影響が出る。

 

だから、明日で切り上げる。

だが、このまま下山は辛い。

せめて、飯豊本山と可能であれば連峰最高峰の大日岳まで足を伸ばしてピストンしたい。

しかも、重装備を山小屋に預けて最軽装で。

 

この判断は正解だった。

 

豪雨の影響で山小屋は盛況だった。

素泊まりで3000円、食料はあるし、湯は作れるからなんとでもなる。

いつも通り、オートミールカレーを作り、足りなければ菓子を食べた。

日没とともに寝た。

 

翌朝は夜明け前の3時台から出てゆく人がいた。

自分は4時に出た。

晴れていたから水筒だけ持参して本山を目指した。

 

道中、綺麗な朝の景色を堪能した。

雲海と朝焼け、朝日に映える尾根筋の山脈。

昨日は一切見えなかった景色ばかり。

初めて、報われた気がした。

 

飯豊本山には6時過ぎに到達した。

そこで決心をして、さらに先の大日岳まで行って戻ってくることにした。

荷物を置いてある切合小屋に正午までに戻るのがデッドライン。

 

大日岳に到達したのは8時20分頃。

雲が出始めており、山頂からの眺望はなかった。

予想よりも遅くなったため帰路が心配となり、急いだ。

天気も悪化傾向にある。

 

戻る道中はガスに助けられた。

暑いと水分消費が激しいが、もう水筒が枯渇していた。

水分不足でヘロヘロになって来た。

本山小屋でポカリスエットを500ml600円で買ったが、温かった。

 

切合小屋には無料の生で飲める水が汲み放題である。

下山前に持参した水筒4つに満タンで詰めたのはいうまでもない。

小屋には正午前に戻れた。

 

下山の支度、腹ごしらえをして12時半に小屋からの下山を開始した。

 

重装備は往路より若干軽くなったが、新しいざっくの背負い方が間違っていた。

それを修正して、固定しっかり締め付けたら歩きやすくなった。

それでも、濡れたシャツ、靴下のせいで皮膚に負荷がかかり、激痛から水ぶくれになった。

 

道中遠雷がして緊張が走った。

また土砂降りにやられるのではないかと。

それでも、一歩ずつ確実に進まないと。

足を挫いたら、詰んで終わる、それだけは避けないと。

 

下山なりの辛さがあった。

楽なルートではない。

それが飯豊山が上級者向けの山とされる所以でもある。

時間がかかる山は難しいのだ。

 

アブに付き纏われ、カエルが出没し、ヘビが定期でこんにちは。

そんな状況であったが、誰とも出会わずに下山した。

 

17時半、小屋が見えて来た時、生還できたことに脱力した。

これほどまで辛い山行が過去にあっただろうか、ない。

 

アブ、ブユだらけで、車を開けたら虫たちが百匹くらい入り込んだ。

早く着替えたいが無理だった。

逃げるように車を走らせ、車窓を全開にして虫を排出しながら移動。

 

「いいでのゆ」で温泉に入り、着替えも終え、食事をしてリラックスできた。

だが、満身創痍、足は痛くて歩けない。

塩分不足で頭痛にもなっている。

軽い吐き気もする。

 

飯豊山神社(本宮)で下山報告し、寝床となる道の駅へ移動した。

 

翌朝、16日になかなな起きられなかったが、起きて直帰したのはいうまでもない。

負傷の代償でお盆休み残り2日を養生して過ごした。

 

しばらくはもう山に懲りたが、飯豊連峰は北側半分を残している。

 

今回以上に距離は長い。

いずれ続きのために戻ってきたい、今回の教訓を踏まえて。