【4月27日】世界ハイエナの日 | 浮浪人間への道 = Road to Groningen!

ハイエナの日があるらしい、最近知った。

 

なぜ4月27日なのか、知らない。

そして、この日が「世界バクの日」でもあることの理由も知らない。

バクと被るのは嫌だろう。

「ハイエナ」の語呂にかけて、「8月7日」とか「8月17日」とか別の日にしたほうが賢明だと思うが。

 

"World (International) Hyena Day"というらしい。

"Happy Hyena Day"という別の表現もあり、そっちの方が微笑ましい。

 

人間によって偏見まみれにされた愛すべきハイエナという動物。

 

「彼らに対する誤ったイメージを払拭しよう」

「食事は骨まで残さず綺麗に食べ尽くしてくれる彼らから、最近流行りの持続可能社会について学ぼう」

 

と言いたいのだろう(たぶん)。

 

自分が思う「世界ハイエナの日」におけるメッセージ:

 

人間は動物園にやってきて、初めて本物のハイエナを見てこう感想をもらす。

 

・意外に大きい

・案外かわいいけどひどいやつ

・ライオンキングでお馴染みの

・ライオンも集団で襲うくらい悪いやつ

・腐った肉や骨に至るまで、何でも食うらしい

・なんでウロウロしてるんだろね

 

(ハイエナは4種居るが、最も一般的かつ大型である「ブチハイエナ」について)

 

実際にハイエナを初見した人間がその場で驚き、困惑する姿をこれまで飽きる程多数目撃してきた。

それまで勝手に自身で育んできたハイエナという動物のイメージとかけ離れているために生じるのだろう。

それに対するギャップの埋め合わせもなされることがある。

 

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【人間の誰がハイエナを悪者に仕立てたか】

 

今、この疑問に向き合っている。

 

どうしてこの種に対してこれほどまでに悪い印象が敷衍しているのだろうか?

悪い印象操作された人間が次から次へ、かわいいハイエナちゃんの元へやってくる。

 

それはまるでゾンビかのよう。

大体、似たような悪態を吐くから。

 

「ハイエナのことを悪く言う人間はハイエナに会いに来なければいいのに」

「ゾンビはいい加減に死ねばいいのに」

 

と普段から思っている。

 

ここでいう「ゾンビ」とは自分の言い回しに過ぎない。

「人間社会でハイエナに対して悪いイメージを植え付けられてきた人間」というのが狭義。

「洗脳されても、なお洗脳されたことに気付かず、あるいは認めようとしない人間」というのが広義。

 

本物の生きているハイエナに日々接するようになって数年。

ハイエナに会うために通った動物園で人間の反応を見聞して、理解を深めた。

ハイエナたちのおかげで気づかせてもらえた、人間という動物の闇の部分。

 

気づいたことの一部を紹介しよう。

 

・こんなにいい奴であるハイエナを意図的に悪者に仕立てた人間が必ずいる

→きっと良い奴すぎるハイエナに嫉妬している、妬みを感じる

→悪いイメージが払拭されることはなく、むしろ増幅されて歩き回っている

→「人間のハイエナに対するイメージが相変わらず悪いまま」であることは「人間は一度抱いた偏見を払拭できない生き物」と同義

→「ライ○ンキング」のイメージが強烈に染み付いている

→横取り、腐肉漁り、不格好など他の動物でも当てはまることをハイエナに限って言う

 

・本物を初めて(あるいは数回)見たばかりなのに「知ったかぶる」

→「博士」気取りの知識偏重の子供が特にひどい

→うろうろするのはストレスのせい、ウンチは白色(決めつけ)

→「食べられちゃうよ」「かわいい顔してるくせに獰猛で怖いんだよ」

→「いつもウロウロしてるのに、なんで今日は寝てるわけ?」

 

・動物が喋らないことをいいことに「嘘八百」を吹聴する

→「(あの行動)お腹空いてるんだよ」「部屋に戻りたいんだよ」「ウンチ(オシッコ)したいんだよ」

→「〇〇ちゃんのこと、見てるよ!食べたいみたいだよ、怖いよー」

→自分はその行動の意味がわかっている場合がある、だから嘘だと断言し得る

 

・他の動物たちに対して「上から目線」(食物連鎖の頂点は自分達だと奢っている節がある)

→「このハイエナ、サービス精神旺盛じゃね(「だよね」の意)」

→「なんだか、一匹じゃ可哀想」(時間帯で交代で展示していることにも気づかず)

→単体で生活することを人間の価値観で「気の毒」なことだと決めつけている

→寝てるんじゃねーよ、起きろよ(ガラスをバンバン叩く(小学生くらいの子供に多い))

→「こいつ」呼ばわり

 

・人間は嘘をつく、故に嘘に支配され、洗脳まみれ

→他の動物が嘘をつくかどうかはさておき、人間は息をするように嘘をつく

→嘘で他人を騙し、時に騙される、それが人間社会

→「歴史」とは決して真実の記録ではなく、時の権力者がでっち上げた(嘘の)記録に過ぎない

 

→ハイエナに対する間違ったイメージ・偏見をどこで人間は身につけてきたのだろうか?メディアだ!

→メディアは真実も報道するが、それと同様に嘘も真実であるかのように報道する

→メディアとは「洗脳の道具」だ

→人間はTVやモニター越しに「生成された映像」で簡単に騙される生き物だ

→昨今はChatGTPや生成AIがいよいよ本物と見紛う映像を簡単に作るようになった

 

→肉眼で捉えた景色だけが真実であり、映像の景色は嘘を疑うべき

→多くの人間はメディアに洗脳されていることに気付けない

→嘘まみれの人間社会にあって、我こそは嘘や洗脳の影響を受けていないはず、と根拠のない自信がある

 

・子供がハイエナのことを「かわいい」と評価するが、親は否定して諭す

→子供は洗脳されていない、のだとはっきりわかる

→親も純粋無垢な子供を無意識に洗脳している

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ハイエナに教わったことが以上のようなことだ。

 

人間社会はいつの世の中も嘘だらけ、と確信している。

それは人間という生き物が存在する限り、そういう世の中になるのが必然だからだ。

 

「人は何の為に学ぶか?」という問いについて、かつて書いたことがある。

「嘘を見破るため」と今でも確信しているが、それはますます難しくなってきている。

 

この世の中には余りにも嘘が多すぎる。

嘘と真実が複雑に絡み合った世界が人間社会。

 

最近「フェイク」「ファクトチェック」「陰謀論」という聞かなかった言葉が聞かれるようになった。

「権威によるお墨付き」があれば、嘘を見破れない人間にとってはそれが「真実」となる。

 

人は嘘をつきながら、真実を知りたいと願っている。

実に矛盾した生き物だと思う。

 

「己(おのれ)が洗脳され(て嘘を真実だと強制され)ていると自認している人」はまだ幸いだと思う。

 

メディアから遠ざかることだ。

TVは捨てる、新聞は解約する。

 

だが、それができない向きもあるだろう。

我が家でも、できていない。

両親がメディアにどっぷり浸かっている、彼らが依存する以上断つことができない。

 

せめて抗ってしていることがある。

メディアが言っているが嘘ならば逆を真とする。

つまり「天邪鬼な受け取り方」をすればいいのかもしれないと。

 

Happy Hyena!