自分が何者かという問いを「血」で知る | 浮浪人間への道 = Road to Groningen!

「自分とは何者なのか」

 

単純作業をしている時、ハイエナを観察しているとき…

物思いにふける状況下で「自分とは何者かを判断するための素材」を頭の中で吟味することがある。

死ぬまでに、「自分とは何者か」に納得出来る答えを出してから死にたいと願っている。

今回、一つの結論を付けることができた。

 

それには過去記事「サイコパスなおじさん」にそっくりな続きが気づかせてくれた。

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朝の通勤時における強引な左車線からの割り込み。

「サイコパスなおじさん」という少し前の記事でのこと。

振り返ってみて、自分でも「執拗過ぎた」と思った。

とはいえ、あまりにも酷すぎる案件であったことは間違いない。

 

そして、今朝。

あろうことか「同じこと」が再び起きた。

デジャヴ。

 

場所は違うが、状況は全く前回と同じだった。

片側2車線の国道、自分は中央車線側。

詰まり気味だから前車との間隔は狭く、間に車両が入る余地はない状況。

左車線は前方に車がいるがそこまでは自分の脇まで空いている。

 

そんな状況でのこと。

 

左車線、後方からスピードを出して来た当該車両。

そして、前を走る車の後ろに追いついた。

嫌な予感(前に割り込まれる予感)がしたから、そうさせない為に車間を「より一層」詰めた。

 

まともな人ならば「ブレーキを踏んでそのままの車線を維持する」はずだ。

 

だが、嫌な予感が的中した。

「自分の前に強引に割り込んできた」のだ。

予感が的中しないよう「わざわざ車間を詰めておいた」にも関わらず。

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そこから先も、残念ながら同じような結果となった。

なんとか自制したかったが、ダメだった。

吠えまくる結果となった。

 

長めのパッシングとクラクションを浴びせた。

その時点で今回の車は前回の「岐阜」よりもマシでハザードをつけて謝る態度を見せた。

だが、それで事を済ませるわけには行かなかった。

 

信号が赤になって前車の後ろに停車した。

窓を開けて罵声を浴びせた。

今回は車外に出て、前車に歩み寄った。

前車の運転手の顔を睨みながら、抗議をした。

 

40前後の営業風の男だった。

両手を合わせて「ごめんなさい」と謝ってきた。

こんな乱暴な運転をするとは思えない見た目だった。

 

急に、自分が惨めになった。

これ以上怒鳴るのをやめた。

 

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この時に、自分が何者であるのかを、ここで悟った。

 

「モンスター(バケモノ)」だ。

 

このことに気づけたことは目からウロコ、大発見だった。

 

自分には姉がいるが、ほぼ絶縁している。

それは、かつて姉がモンスターに豹変した事件があったからだ。

「怒り」によって家内のものを投げ散らし、暴れ回ったことを今でも覚えている。

あんなモンスターには関わりたくないと避け続けてきた。

 

だが、自分も姉と同じ生き物だと自認することとなった。

同じ親から生まれたその血は同じ種類の生き物である証でもある。

自分がつくづく嫌になってきている。

 

これは何も自分を含めた血族の話、親族だけの話ではない。

人類全てがこの血を共有している。

「バケモノ」に変身する血だ。

 

恐ろしいと思った。

 

漫画「ドラゴンボール」で「孫悟空」が満月を見て怪物に変身するのは有名だろう。

あれと同じだ。

その「血」を受け継いでいるものは変身する余地があるのだ。

 

「怒り」は人間がモンスターに化ける要素だ。

 

他にも人間がモンスターに化ける要素はあると思う。

 

「七つの大罪」を思い出す。

 

・憤怒(wrath)

・怠惰(sloth)

・強欲(greed)

・色欲(lust)

・暴食(gluttony)

・嫉妬(envy)

・傲慢(pride)

 

漫画「鋼の錬金術師」では、この7つの各欲を持ったキャラクターが7人出てくる。

そのうちの「憤怒」に関連した件。

他の6つについても人間が「バケモノ」のトリガーを引く余地があるのかもしれない。

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【人間とはかくも恐ろしき生き物であることか】

 

今まさに、その思いを実感している。

 

バケモノがこの地球に80億人以上存在しているのだから。

潜在的にこの世を破滅にすら追い込む余地が80億人以上存在する。

 

深い絶望から決意は変わることなく、自分の代で家系を閉じるべきであると確信した。

 

そもそも自分が「選民」ではないとわかったことも種を残さない契機となっていた。

海外へ遺伝子検査を依頼して「そうではない」という結果を得たことで知った。

その血を受け継いでいないという意味で「そうではない」のだ。

「血統」というものが重要だと改めて知った。

 

「ブチハイエナ」を含めた他の種との交流は人間という種を知るのに確実に寄与してきた。

動物園では否応なしに動物を取り巻く人間の客への観察も余儀なくされた。

動物たちに対する態度、思い、偏見、洗脳を知った。

 

そういうものをこれまでにたくさん見てきた。

そしてそれがなぜなのかを常に自問してきた。

 

「人は嘘をつく」「なぜ人は嘘をつくのか」ということへの問いかけから「人間以外の動物は嘘をつかない可能性」を探っている。

 

動物との意思疎通ができないとその回答は得られないのだろう。

「動物が嘘をつかない可能性」については検証しようがないとわかっている。

だが、その可能性を信じたい。

だから、日本語という言葉で他の動物たちに語りかけて続けている。

 

なぜそれを続けるのか。

実際に「ブチハイエナのホシくん」とは、内容はわからないながらも会うたびに会話が成立しているからだ。

 

過去記事で記述しているが、車種で舐められる傾向は確実にあると確信した。

サクシードという営業車(しかも型落ちの旧車)は舐められているとしか思えない。

それはなぜなのか?

 

結局は、当人と他者の優劣をつける作業を人間は無意識でしているのだろう。

ハイエナもそうだが、多くの動物は階級社会で生きている。

人間社会が「平等」だということは嘘であることは明らかだ。

 

今回は運転手はこちらの車種でもって、その対象を劣勢だと判断したのだろう、と想像している。

 

今回の事件を引き起こした車を参考までに載せておく。

ナンバープレートは一部隠してある。

 

県東ナンバーは運転マナーに関しては最低である人間が多い印象がある。

自分の生活圏は「大宮」管轄エリアだが、「春日部」「つくば」の車でレベルの低い運転者にしょっちゅう出くわす。

この件については、なぜなのだろうかと考えさせられている。

ナンバープレートの地域差による運転マナーの差は確実に存在している。

 

自分の内面にあるバケモノを普段は蓋をして閉じ込めて生活している。

それが人間社会だ、と気づいた。

過去記事で、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」に出てくる「カオナシ」というキャラクターについて考えたことがあった。

あれが人間の本当の姿だと思う。

 

人間は本当の姿を蓋して、表面を自分で装うことが出来る。

それは決して化粧するという意味ではない。

表面を装うとは、人にどう見られるかを自身で決定することだと思う。

 

50年近く生きてきてようやく気づき辿り着いた境地だ。

我ながら、よく気づけたと感心している。