よい天気の夕方、太陽が「西日」に変わるとソワソワしてくる。

何度も何度も外の様子を窺っては、その時を待っている。


そしてだんだん赤みを帯びてきた頃には、もう落ち着かない。




昨日がそうだった。




そして、ひたすらその方向にチャリを走らせる。

途中で見失っても、その先には必ずある。

それを目指して。

マスケロンのイタリアかぶれ-鳥取夕景


目の前が開けた時、

そこにあるのは、燃えながら沈みゆく太陽。


今日の終わりを告げるひと時を、ただじっと見ている。




私の好きな時間。





ふと、フィレンツェのミケランジェロ広場を思い出した。

ワインを飲みながら、山の向こうに消えていく、その瞬間を待っていたシニョーレ。

あぁ、私もこんな風に過ごしてみたい、と。

マスケロンのイタリアかぶれ-フィレンツェ夕景2





今はまだ、イタリア各地で見た夕日を思い出すだけだけど、

いつかまた、彼の地でその瞬間を待ちわびたい。

どこまでもどこまでも追いかけて行きたい。




そして、向こう側へ行ったあとの空の余韻。

そのあとに覆われる闇。

その前の静かな時間 ―無音―




ランボーの詩が浮かんでくる。






マスケロンのイタリアかぶれ-フィレンツェ夕景1




それまでは、この町で見つけてみよう。


今日もいい夕日だろうか。

























マスケロンのイタリアかぶれ-フィレンツェ夕景3