団塊団子

団塊団子

団塊の世捨て人、粗大なまゴミ

Amebaでブログを始めよう!


コロナーゼ

1ヶ月近くもブログお休み

何やってんだろう?
おかしいな・・
もしかしてひょっとしたら!


その、もしかしてひょっとしたら、だったのですよ

まったく何てことだ

GW連休明けの6日に連れ合いが38度の熱が有り近くの病院で受診、
翌日7日に×判定、俺は濃厚接触者検査で10日×判定、

その後体調悪化しT病院に17日に入院20日退院、
退院後は自宅で後遺症(倦怠感と食欲不振)の療養をしていました

現状は食欲はかなり快復しましたが、まだ倦怠感があってだるいです

いったいどこで感染したものか、心当たりとしては
GW2日に行ったスナックの賑やかカラオケ四人組?
3日に行った焼き肉屋?

まあ何だかよく分かりません・・



連れ合いに38度の熱が有ったとき
本人は以前なった病気と全く同じ症状だ、

自己診断して近くの病院で受診したのだった

その病気ではなかったのだ・・

「どっちでも良いけど只だから検査してみるかい?」

ということだったのが翌日に×判定となったのだ



濃厚接触者ということで検査指示があり
ドライブスルーで鼻に長い綿棒を突っ込まれた

帰ってきたら何だか急に具合が悪くなって来て
熱を測ったら38度近かった

翌日×判定の通知が有り
連れ合い共々自宅療養することになった

レトルトなどの籠城セットと酸素計が送られてきた


1日2回の安否確認

熱があがったら連れ合いの古い薬を貰って飲んでいたのだが
「それで良いから飲んで下さい」
「水分補給を忘れずに」


数日後
「大丈夫ですか?」
「あまり良くない・・」

「頑張って下さい」
「・・」



判定から1週間後、
まったく食欲がなくなり
ぐったりの様子に、
もうこれ以上自宅では面倒見切れない

連れ合いが所と相談し救急を呼ぶことになった

救急が来て熱、酸素、血圧などを測定、所に報告すると
それでは入院基準を満たしていない
ということで救急は引き返すことになった

どういう経緯があったのかは知るよしもないが、
その後数時間して所からT病院に入院することになった

連絡があり
救急がお迎えに来た



病室は6階個室、トイレ、シャワー付き

病室内でレントゲン、採血

尿検は無し

体温、酸素、血圧は食前に毎回自分で測定

アビガンを一度に9錠も飲まされ
翌朝も9錠で、
その後は4錠となった

病状にさほど変化は見られなかったが
先進国日本の高度な医療を受けている、
という安心感が大きかった

3食は薬と思って摂取を心がけた

入院3日目、
医師から
あなたはもう入院基準を満たしていないし
病床逼迫の折からもっと重い人のために
ベッドを開けて欲しい、

通告された

もともと入院基準は満たしていなかったのだし
少しは良くなった気もしたので了承した



翌日、
本来であれば医師と看護師に
「どうもお世話になりました」

ひとこと挨拶して行くのが礼儀であろうが
そんな気にもなれず、

というか
防護服で顔も良く分からなかったし、
黙って出口案内人の後ろについて行った

外は晴天であった

なんとなくふらつく足取りながらも駅に向かった

街はライラックの香りに溢れていた



階段の登りは少々息が切れた

平地では
初めは20分歩いて10分休憩だったのが
30分歩いて5分休憩になり

退院1ヶ月で
60分休み無しでずっと歩けるようになった

これで
地面をたたきながら4時間歩けたら完全復活だが・・



ウィルスに感染した人も、ワクチンを接種出来、
むしろ
接種が推奨される。

一度感染しても再度感染する可能性があることと、
自然に感染するよりもワクチン接種の方が抗体の値が高くなる。

ただ、
副反応が過剰発現する報告もあり、
治癒するまでは接種しないこと。


 

ダイヤルアップから光に換え ビスタからwin10にアップした

 

で、ここに戻ってこれた

 

芭蕉の暗号 古池や かわづ飛び込む 水の音 この芭蕉の句を逆さに読むと、 ふるいけや かはつとひこむ みつのをと 遠の罪 無辜 一つ墓 焼け衣 流布 遠の罪 は遠い昔の ではなく十(とお)の罪、十字架を持つ罪。 彼らは盗賊でも殺人者でもなく、無辜の罪。 キリシタンの墓には戒名の上に「一」の文字がつく。 一伯、一葉、一休、一茶、一笑。 キリシタンは火刑になり焼けた着物は切り分けてキリシタンに配られ信仰の対象になった。 芭蕉の句はキリシタン弾圧を加味して味わうものなのか? (walk in the spirit より) 秋ふかし 芋をふかして 屁をふかす秋深き 隣は何を する人ぞ(芭蕉)屁をふかし 隣は鼻を つまむ人(芋) 面黒面白ぉて やがて哀しき 鵜舟かな(芭蕉)面白い 恋人返事 ハィ変人(吉本興業)面白い 恋人今は 被告人(石屋製菓) この道や 行く人なしに 秋の暮(芭蕉)裏を見せ 表を見せて 散る紅葉(良寛)カネを見せ サイフも渡し 遊ぶ店(ぼったくり) 食い飽きハングリーであれ。愚かであれ。(ジョブズ)晴れてよし 曇りてよしは 富士の山(一不二、二鷹、三小結び)ハングリィ 愚かであれば 食い逃げる(ジョブズ)昼間酒 親の意見は 効かねども(ドラ息子) 花は花 団子は団子 酒は酒(酔っぱらった月光仮面)酒だけが 最後の味方 哀しいね(アルチュハイマー星人)年金で 足りる義理だけ 手放さず(ギリギリのキリギリス)何時からか 金の匂いの する女(金の切れ目ちゃん)泣く喋る 女は武器を 幾つ持つ(並だの女)正論を 無視され若い 正義感(正義の味方)古典パン 江戸川柳は 柳多留(コテンパン)川柳の ネタを探して 四苦八苦(釧路で苦労しろ)先公を 恩師と呼べる 齢となり(師よりも老けた苦労人)お見合いの その妹が 綺麗過ぎ(姉から先にすべし)新郎は 誰も見てない 披露宴(疲労炎でしょ)夜叉(やしゃ)になり 菩薩にもなる 子育てか(昔、皆餓鬼)糸尻は 妻が持ってる 奴凧(尻切れ蜻蛉か鉄砲玉)栄転も 左遷も所詮 旅烏(宮仕えの宿命)嘘吐きの 女が好きで 呑みに行く(アンタも好きねえ)万引きの 哀れは孫の 欲しい物(悲しいィねぇジッチャン)才女より 何処か抜けてる キミが好き(抜けた穴には入ります) 有限の世界から夢幻の世界へ Subject:幽玄の世界 From:sio To:しづ自閉症者は反応が鈍いから、内面の世界も乏しい、と 言う専門家はいます。でも、「自閉症だったわたしへ」でドナは 回りの人たちが うわ言だ と言っていたことを「詩のことば」「わかる人にのみわかる言葉」と言っています。意味を理解できないのは翻訳者がいなかったからに過ぎないでしょう。ノストラダムスの予言詩みたいなものに何の意味もない と思う人もいれば、既に現世に具現された事象として神秘的に解釈する人もいます。自閉症者が「かえるが池に飛び込んだ」と言っても馬鹿にされるだけですが、松尾芭蕉が言えばそこに幽玄の世界を見出すのが人の常です。自閉症者は独自の感受性による独自の心の世界をもっている、そう考えて不思議はないとは思いませんか?


ギャグ=ギャ + グゥ

セイコーマートはセコイマートかサイコーマートか?

肋骨の
馬から落馬して背骨の骨と肋骨の骨が骨折した、コツコツ 
コソコソと北から脱北、脱兎の如く来た北、北来た

弱虫と茶碗蒸し 食べたいのはどちら?

さぶーい風の又三郎
宮沢賢治) 風邪にも負けず
宮本顕治) カゼでまたさぼろう

♂1) 近頃の女子は肉食系が多い・・  
♂2) 肉はタンパク質、俺は淡泊質!
♀1) 近頃の男子は草食系バッカ!    
♀2) わたし、クサいのに・・

♂1) セック'ス フレンドになる勉強してます、って?
♀2) 性友でなく声優よ!

ニンニクにくっ付く虫は、ガとアリ(ガ・アリ付く=ガーリック)

加湿器を買うとおまけにお菓子がついてくる(菓子つき)
除湿器を買うと女の子が家まで運んでくれる(女子つき)

加湿器と除湿器を同時(ドジ)運転させたドジな奴


鼠、寝ズ見チュウふらっと(rat)する
牛飼う(cow)ギュゥっと
虎が大河(tiger)を渡っトラ
兎、こら!ビッと(rabbit)せぃ!ウッ、ウサ晴らし 
龍のゴルフ、ドラコン(dragon)了解(竜かい?)
蛇が拗ね(snake)るんジャ・・
馬に放水(horse)バカったれ!
羊が一匹、しーっ(sheep)ヨウし!
猿が文句いぃ(monkey)去ル
鶏が変(hen)身、2羽トリ
犬が毒(dog)づきケンつく
猪の相棒(wild boar)チョッ!
熊のベア(bear)要求、クマった・・
鳩のビジョン(pigeon)で民主党大敗
蟹クラブ(crab)カニ?
鹿では(deer)ないカもね?


巳は美、蛇は邪
蛇が拗ね(snake)るんジャ・・

ネウシトラ・・
♀1)ミー、って何だっけ?
♀2)me、私・・
♀1)エッ、豚!?
♀2)??

豚がビックリ(pig)しトン?

びた一文
ぶた1トン


浜崎鮎
Are you アユ?
これって魚?
まさかな

鯨が吠えーる(whale)ゲェィ
これって魚?
まさかな

魚が必死(fish)にギョ!


よく噛めよ、亀よ
もしもし亀よ♪ デジカメよ♪
亀たぁ撮る(turtle)デジカメ
デジカメ性能アップで
プロとアマの垣根無し、オカメー無し
表現の場も多過ぎ、誰の記憶にも残らない
亀(甕)の記憶だ、バカメ・・


子供が来た(子供とガキ)

狂牛病騒ぎの近江牛店「オーミステーク(近江ステーキ)全然売れないよ~」

相手が若いと、ワカイ(和解)が困難。
相手が年増だト、シマった!と思ってももう遅い・・。

母艦が爆発した「ボッカーン」
土管が爆発した「ドッカーン」
パリで割った「パリン」
ペキンで折った「ペキン」

コーラを飲んでクシャミした「ペプシッ!」
サイダー何本飲む?「三ッ矢!」
ウルトラマン、電話を取って「ジュワッキ」

伊藤「イトーヨーカドーいつ行く?」
加藤「伊藤、八日どう?」
六日は寒いか?
七日なのか、よう考えたら八日

月曜、ゲッ!酔う
火曜に何か用?
水曜は安いよ
木曜にはもう供養
金曜には出来んよ
土曜は同様に
日曜はためさんでいい

237000円(2010.10)
上司)給与の2割カットだ・・3年我慢してくれ
部下)3年経ったら元に戻してもらえるんですか?
上司)3年経てば辛いのに慣れるから
部下)・・

法務担当)本契約の有効期間は…
自信過剰)本契約の有効股間は…

世界で一番流行っている病気は?
1.カゼ
2.ガン
3.仮病

正解は仮病のカゼかも知れない

ダラ
スケソウダラ と スケトウダラ どう違うの?
アホンダラァ!

トイレの花子さん
トイレの神様
便所の紙様
頭の髪様

盗っても 2/14
チョコいっぱい、一個取ってもバレンタイン

躁鬱病)鬱は移る
1か8か)賭けは欠ける
毛沢東)毛家は儲ける
金日成)カネイルソンは損したカネ?

用意ドンパチ
北)来たら撃つぞ
南)何だ、やるか

北海℃初雪
振るえるブルブルドッグ

学生A)これ、公文式?
学生B)いや、常識だよ

グルメ情報)「絶対食べすぎ!」   
ダイエト中)何でわかるの(怒)
冷静な読者)「絶対食すべき」だ

腹一杯
腹具合ってどんな国?

痛くなったら、すぐセデス♪
出たくなったら、すぐ“へ”です♪


乳酸菌飲料カルピスは何の味
カルピス『初恋の味』は大昔の記憶だが、
短期記憶実験、甘酸っぱい、あら失敗?

ジジイが食ってもババロア
犬の心臓dogdog
白鳥、タバコ、スワン
アルブスの少女ハイジ
中国の歌を歌いましょう、さん、ハイ!(上海)
ロシア革命の指導者は、いなかった!なぜなら、レーニン(零人)


「店長の闇と光」なんだか違うなあ…
「店長の病みとひがみ」ならわかる

♀)レモン好き!
♂)俺もん

♀)カレー好き?
♂)彼ぇ?

レモンの入れモン
指紋の家紋
悶々・・

涙そーそー
何だ早漏?


酔っ払いスナックでお店の女の子と
(俺)今、おもしろいギャグ考えた
(女)アハ ハハハハハ
(俺)言う前に笑うなよ!?
そのギャグは受けなかった・・


荼毘に付す(火葬)
ダービー(馬)に臥す

うっしっし
むしゃむしゃしていた
草なら何でもよかった
今は反芻している


ナガメミジカメ
ながめがいいまちでした(眺めが良い街)
ながめがいまいちでした(眺めが今一)

↓某掲示板に投稿され話題となった人間の脳の不思議です。

 こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。この
 ぶんょしう は イリギス の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか
 にんんげ は もじ を にしんき する とき その さしいょ と さいご の もさじえ
 あいてっれば じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という
 けゅきんう に もづいとてわざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす


ふん
足で踏まれて育つ麦
足で踏みつけ怒る糞

自重
感じちゃう幹事長
逝っちゃう一丁目

「ちんちん」がぶらんぶらんと動揺
じゃなくて
「ちんちん千鳥」という童謡だった


ゴッホのオナラか
ゴッホの絵でも有名な黄色い跳ね橋のある場所は?
正解 アルル
性解 アナル

アナル語を話す人がいる。
ヘッ?
これホント!


おっぱい星人
美乳? 巨乳? 爆乳? 貧乳? 母乳? 微乳? 挿入!?
あなたは何乳?
数ある乳から選んでみては

伽羅
キャバクラ逝って
キャラバレたー

メニュー見てポンポチたのんだ
「ポコチン」一つって


無辜の罪

芭蕉の暗号


古池や かわづ飛び込む 水の音


この芭蕉の句を逆さに読むと、

ふるいけや かはつとひこむ みつのをと

遠の罪 無辜 一つ墓 焼け衣 流布


遠の罪は遠い昔のではなく十(とお)の罪、十字架を持つ罪。

彼らは盗賊でも殺人者でもなく、無辜の罪。

キリシタンの墓には戒名の上に「一」の文字がつく。

一伯、一葉、一休、一茶、一笑。

キリシタンは火刑になり焼けた着物は切り分けてキリシタンに配られ信仰の対象になった。

芭蕉の句はキリシタン弾圧を加味して味わうものなのか?




Walk in the Spirit



頭を使おう

頭を使おう(理系)

60分は2時間?!
客)オッ、ちょうど60分、1時間の料金だ!
店)2時間の料金を頂きます。
客)エッ、何言ってんだ、60分は1時間だろ!
店)いいえ、59分までが1時間の料金で、60分からは2時間の料金となります。
客)そんな馬鹿な計算があるか!
店)59分から60分に切り替わる瞬間までが1時間の料金で、60分になったあとは2時間の料金となる訳です。
客)・・
店)・・
客)俺は、59分から60分に切り替わる瞬間を見たぞ!
店)では、1時間の料金で結構です。



トポロジーでは穴の数が問題となる.
この数学でいう穴とはくぼみ、や、へこみではなく、
ドーナツ状の穴、穴というより孔なのである.
応用問題として人体の穴(孔)を考えてみよう.
飯を食って糞を出す,
飯も糞も人体ではないから、口からケツの穴に至る消化器内部は人体の外部といえる.
つまり、人体はトポロジーでいう穴の数が一つなのか?
口から飲んだ牛乳が鼻の穴からこぼれることが有る・・
次第に、落とし穴へと落ち込んでいく・・
が、落とし穴はトポロジーでいう穴ではない、いや、・・


卵が先か
悲しいから泣く と、思う が、 泣くから悲しい という説がある.
意識に先行して「無意識」が活動を始めるらしい・・


ルール違反
タイムマシンのルール,歴史を変えてはいけない,って,そんなルールを守る奴がいるか?
それより,過去にマシンが現れた事自体が,既に歴史を変えている,ではないか・・
あなた!
それでも未だ信じますか?
アインシュタインを・・


頭を使おう(文系)

トンカツ、ビフテキ、ジンギスカン
牛に引かれて善光寺参り、
は、
良いが、
逆はダメ。

屠所に引かれる牛のように、・・
誰でも牛がかわいそうで屠人は残酷だと思うから、
こんな差別的表現を使ってはならない?
こうして「ドナドナ」は歌えなくなった。(橘玲)



正月になると飼っている鶏を1羽、父がさばき、母が料理する。
屠殺、さばきの現場を見ていると食欲は無くなり、母と兄(長男)は食べることが出来ず、
2~3年後には鶏をさばくことはなくなり町のミートショップから購入。
鶏は卵の生産だけになった。
そんなある日、我が家の番犬が鶏を襲い父は激怒して即死刑にした?
私は遠くから恐る恐る見ていたが、生々しい死刑の現場を近くで見ていた兄は「鶏を襲う犬が悪いからしょうがない」と言うが私は、
悲惨な思いしか・・。

来月からは父母の歩んだ道「蝦夷地開拓」をブログに載せようと思っています。
先月札幌の兄と居酒屋で映画「ブタP」の感想を話している中で父の昔話で盛り上がり、母からは苦労話をよく聞かされていたけど、
父からは聞いたことが無く、痴呆症が進む前に聞いて記録しよう、とゆうことになり先日から兄の催促のメールが2回ほど来ているので
それも載せちゃいました。

親父にインタビューしてブログで発表してくれよ!
或る吹雪の日、母は外出、父は近所の人と将棋、長男(赤ん坊)は奥で寝ていた。
事件が起こった。
母が帰ってきて、それが判明した!
隙間だらけの掘っ立て小屋に、雪が入り込み、長男が雪をかぶったまま動かない・・
・・長兄が母から聞いたエピソード

今日から父のインタビューを始めようと思います。
「父へのインタビュー」
今日も晴れて暖かく+7度、夕刻仕事を終わらせ父を連れ北見の理髪店へ、車で30~40分かかるので車の運転中父に
開拓時代の話を聞いた。
昭和22年終戦まもなく今の美幌窯工房の東4~5km山奥に入った原野?山林?に開拓に入り3~4ヘクタール開墾、
鋸(ノコギリ)斧で木を倒し、根っこを掘り出し、鍬で畑を耕す。
電気も機械設備も無く気の遠くなる地道な作業、1年頑張って1ヘクタール(3600坪)自分の手と足だけで開墾を続け、
父母は共に大正14年生まれ、22歳で見合い結婚、山の沢に掘っ立て小屋を建て新婚生活と「蝦夷地開拓」が始まった。
最初は収入も無く開墾で倒した木を薪にして町に売りに行き、帰りに生活必需品など仕入れ、
私は初めて父の口から昔話を聞き、呆けていた父が、若い頃に戻り、記憶も鮮明に開拓時代のことを覚えていて、
すらすらと喋り出したことに驚き、感動してその夜は興奮して目が覚めてしまった。
私の「ルーツ」を探求、新たなる発見、色々な意味も含め不思議な気持ちに・・。
次回は結婚と開拓の経緯についてインタビューする予定でいます。

父母の歩んだ道~「戦前の二人」
夕食後父母の部屋にある古いアルバムを見ていたら結婚前の写真が出てきた。
父は香川県の水田農家に生まれ(二男)19歳で海軍に志願して佐世保に勤務、母は高等女学校卒業後、陸軍司令部経理部に3年勤務、
後藤田正晴少尉の下で働いていた事が自慢のようだ(戦後の田中内閣で副総理、幹事長を歴任)
母の父(祖父)は兵庫県出身で逓信省に勤務(台湾にある郵便局の局長)、母の母(祖母)は香川県出身で台湾にいる祖父と結婚、
母は長女として台湾で生まれ、優雅なお嬢様育ち(7人兄弟妹)、大日本帝国の領土だった台湾に住んでいたため敗戦後、
財産はほとんど没収され日本に戻り、2年後に父と見合結婚して北海道に来る。
父は敗戦後、蝦夷地開拓を夢見て一人で美幌に来て開墾。
しかし独身者の開拓民は土地の割り当てが難しく、受け入れてもらえず香川県に戻り昭和23年1月28日母と結婚し直ぐ
真冬の寒さの厳しい美幌に戻り新婚生活が始まる。
生前、母は「父の蝦夷地開拓の夢」に惚れて結婚を決めた、と言っていたが、

父母の歩んだ道、「誕生日なので寿司屋で父と・・」
今日は私の誕生日、夕刻父を連れ網走の寿司屋に行くことにした。
車で行くので酒は飲めません、残念。
父に今日は何の日と尋ねると「・・ん・・知らない・・」
また質問して、今日は12月4日だけど何の日か分る?
しばらく考え「何の日だ・・」稔の誕生日だよ、と教えると、父は笑いながら「あっ!そうか・・」
だから寿司を食べに網走に行くよと言うと、嬉しそうに自分の部屋に着替えに行った。
網走市内にある中鮨は高校時代の友がやっている有名なお店でオホーツク海の新鮮なネタが売り。
時々鯨やイルカ?の刺身が出て来るので驚かされる。
やはり私はウニ、イクラ、ほたて、牡丹えびが好き。
今日は寿司を食べながら開拓話を聞いた。

父へのインタビューを初めて1週間になるが、母から聞いた印象深い話はだいたい覚えていた。
でも直接、母の話になると悲しそうな顔になり言葉が出てこなくなる。
母の死から3年過ぎようとしているのに、まだ立ち直れていない様子。
60年もの間、朝から夜まで24時間一緒に苦楽を共に過した母の想いは、息子の私の想いより、遥かに遠く重く深く・・

次回は「幼い二人の兄がおこした大事件?」を載せます。
寿司を食べながら開拓話を聞く。
母と結婚した翌年には長男が産まれ、その翌年は二男、さらに翌翌年に私(三男)が誕生、母の苦労もピークに達し、
父母が一番記憶にある大事件は、2、3才?の二男、長男の喧嘩。
父母は畑仕事で忙しく目の届かないところで、長男は二男を崖下(7~8メートル)に突き落とし、復讐に燃えた二男は
大きな石を投げつけ長男は顔面血だらけ。
ヤンチャで暴れん坊の二人は歳も近く体力も同じくらいなので兄弟喧嘩をよくしていたらしい。
私が生まれる頃は大阪の叔母さん(母の妹、5女)が手伝いに来てくれて、4~5年一緒に暮らし母はとても感謝していた。
叔母さんが手伝いに来てくれる前は畑仕事が忙しく、両親は幼い息子二人を家の柱に縛り付けて泣く泣く仕事に出ていた。
当時の農家では当たり前のようだった。
ある日、野良仕事を終わらせ畑から戻ると長男の姿が消え行方不明に・・
慌てた父母は長男を探し回り、声が枯れるまで、数時間あちらこちらで長男の名を呼び続け、陽は沈み、まわりは薄暗くなり、
両親は心配と不安で胸が張り裂けるおもいで探し続け、やっと無事に見つける。
長男(札幌の兄)は自力で縄を解き外の芋畑へ仕事に出て行った両親を探し求め、見つけることはできず、疲れ果てて、
芋畑でスヤスヤ寝ていた。
生前母は私によく話してくれた「稔が生まれたときは、叔母もいて二人の兄のように辛く、嫌な思いもさせず、育てたのよ~」。
両親にとって末っ子は可愛い?
でも私は札幌の兄にいじめられ続けていた。
それは兄の嫉妬から来ていた?
兄は記憶に無いと言ってますが・・
次回は昭和23年入植当時の様子を載せます・・

父母の歩んだ道「山奥の開墾」
先日私の誕生日に父をつれ、昭和23→22年当時の入植した開墾地へ車で見に行った。
父の記憶は少しづつ薄れ「この辺かなァ~?」「あの山の沢辺りに小屋を建てたのかなァ~?」正確な位置?場所は分らず、
薄暗くなって来たので写真を撮って帰る事にした。
この土地に戦後開拓に入った人達は12軒有り、1軒(1家族)に山や沢5ヘクタール(18000坪)が割り当てられ
美幌町や開拓農協の支援の下で開墾が始った。
直径1メートル近い大木も有り、鋸と斧での開墾は困難続き、太い木の根っこは黒色火薬やダイナマイトで爆破したらしい。
当時一軒に馬車一台分の火薬、ダイナマイトが支給され、それを使い開墾を進めた。
父は短気でせっかちな性格なのでストーブで薪を焚く時にも黒色火薬を使い薪に火をつけていた。
父の話を聞いていると母の苦労、が想像される。
開墾しながら父母の新婚生活は始った。
掘っ立て小屋に栗毛の農耕馬一頭、子豚一匹。
その秋に母の最初の悲劇が起った、とゆうより子豚の「プー太郎」の悲惨な最期、悲劇 だったのだ。

・・鍋を突っつきながら開墾話を聞いた。
母の話は語りたくない様子なので開墾中の畑作や家畜のことを聞いた。
当時は自給自足のために麦、ソバ、ジャガ芋、キビ、野菜類などを、家畜は農耕馬を二軒協同で1頭飼育、もらい物?の子豚一匹を
山で放し飼いに・・
子豚は山で自由に遊び、父が呼ぶとトンで帰ってくる、可愛いペットみたいに育てられ、やがて秋になり、ここからは母から聞いた話、
秋も深まり、厳しい冬が来る前に人間も熊や動物たちも栄養をつけ、体力増強の季節。
父は斧を手に大きく育った子豚を屠殺、一撃で仕留められず子豚のプー太郎は逃げ回り、山を走り回り、父は斧を手に追いかけ、
悲鳴や叫び声が山々にこだまする。
「プー太郎」は私がブログ用に命名、当時父は家畜に名をつける事はせず子牛は「ベー」羊は「メー」子馬は「ボー」、と呼んでいた
ので私たち兄弟も同じ呼び方をした。
たぶん子豚は「ブー」と呼んでいたのでは・・
母はプー太郎の悲惨な姿を見て、かなりのショックを受け、結局食べることが出来ず、近所の人達にほとんどの肉を振舞い、
その後肉嫌いになってしまう。
山奥での開墾一年目の出来事・・父は母に美味しい肉を食べさせて上げたい一心で「プー太郎」を育てたのに、父の思いは届かず?
厳しい冬を乗り越えて翌年の春に長男(札幌の兄)が誕生する。
痛く悲しい最期の「プー太郎」の冥福を祈る・・

山奥で開墾を始め、二年目の春に長男(札幌の兄)が産まれて、父は大喜びで山々を走り回っていたそうだ。
当時、町には産婦人科病院も無く、産婆さん(Kさん)に来てもらい山奥の沢の掘っ立て小屋で無事出産、その後も雪が吹き込む小屋で
健やかに育ち、今現在、札幌の会社に勤務、来年の春に定年退職を迎えようとしている。
山奥の春は山菜が豊富に取れタラノ芽、ワラビ、ぜんまい、ふき、アイヌ葱、母は料理が得意で手打ちのソバ、うどん、蒸しパン
それに濁酒(どぶろく)まで作っていた。
十数年前、母から聞いた「濁酒」の話し。
掘っ立て小屋に遊びに来た客に濁酒を振る舞い、酒の飲めない父も「美味しい美味い」と言いながら、がぶ飲みして、酔いつぶれた。
その話をを聞いた私は、その濁酒が飲みたくなり母に「今作れないの?」と尋ねると「40~50年昔のことだから造り方は
忘れてしまった」と言われ、あきらめた。
父母は酒が飲めないのに、私たち3兄弟は酒好きになっている。

山奥の開墾生活は昭和26年春まで続けていたが、旧海軍航空隊の跡地(美幌町田中)で耕作可能な土地を安く払い下げて貰うことが
出来今の現住所に引っ越してきた。
農地も10ヘクタールと倍の広さになり本格的な農業経営の始まりだった。
山奥での開墾生活は5年に及ぶが「掘っ立て小屋」には水道も風呂も無く、沢の小川から水をくみ出し生活用水にしていた。
夏は水浴び、冬は湯を沸かしタオルで体をふくだけ・・
山奥の「掘っ立て小屋」、ここで5年近く開墾生活が続く・・
そんなある日、開拓仲間のkさんの子供(5~6歳?)が母のところにやって来て「風呂が沸いているから入りに来なヨ!」と
ぶっきらぼうに誘いに、それからkさん家族との付き合いが始った。
Kさんは3人家族で家には風呂があり、父母はたびたびお邪魔するようになり、出身も関西なので気も合い、
親戚以上の仲になっていった。
その男子の名は「昭成」通称テルちゃんと呼んでいた。
十数年後、父母は「テルちゃん」の嫁さんを世話して仲人になる。
実は養子だったとは知らなかった。
死んだら又貰えば良い、の言葉に、母は愕然・・

父母が開墾した土地は藻琴山(頂上まで25km)の裾野に位置しており、山の向こう側には屈斜路湖、摩周湖、山の右手には
美幌峠、阿寒岳、阿寒湖、山の左手には斜里岳、羅臼岳、知床連山と続く。
車で60~90分で遊びに行ける距離だ。
当時は観光旅行する余裕もお金も無く、旅行が出来るようになったの10年以後、それも近場の温泉、阿寒、川湯、など、
母の初の里帰り(大阪へ)は17年後。
父の里帰りは30~40年以後になる。

父母が還暦を迎えた頃(開墾37年後)農業経営を次兄に任せ国内旅行、海外旅行、へ頻繁に行けるようになった。

開墾生活5年目の春「最初の開墾地」に見切りをつけ今の土地に引っ越して来た。
ここの土地は旧海軍航空隊美幌基地の飛行場跡で200~300ヘクタール?の広さがあり、当初は協同の放牧地になる予定だった
のだが、同年(昭和26年)陸上自衛隊(旧警察予備隊)美幌駐屯地ができ、放牧場は演習林になり射撃訓練などが無い時は
家畜の放牧が許された。
なので、当時の隊員は「ほふく訓練」で牛、馬の糞がある所でも避けて通ることが許されず糞塗れになり、辛い訓練だったそうです。
札幌の兄(長男)は手に付いただけでも大騒ぎで臭いが取れるまで何度も手を洗う神経質、潔癖症だった。
父母はそんな長男を見て農業の跡継ぎは無理だなァ~と思い、諦めたそうです。

現在地に移った頃の2年間も掘っ立て小屋で生活、井戸水はあるが風呂はドラム缶、耕作地は10ha(36000坪)も有り
「山奥の開墾地」の倍になり、忙しい日々が続く。
現在地に移り2年目の冬に私、三男が誕生。

父母は山奥から現在地に移り本格的に営農が出来るようになり、最初の年はまだ掘っ立て小屋の生活が続いていたが、豆類、ジャガ芋、
ビートなどの畑作が中心で家畜は農耕馬と自家用に鶏を外で放し飼い、山羊は飲料乳を得るのに飼育。
その翌年の12月に私が生まれ、父母と3人の息子の歴史が始まった。
町には雪印のバター、チーズ工場が出来、創業を始めた。
その頃、乳牛(子牛)も飼い初め、数年後には搾乳もでき工場に出荷するようになった。
さらに10年後は10数頭、その後50~60頭以上まで増やすが、輸入自由化の影響で経営難が続き、昨年夏で次兄は酪農を止め、
畑作に転向した。
残念なことだけど56年続いた酪農にサヨナラ。
次兄の再出発に、北海道の農業の未来に、エールを♪
板壁に柾屋根の家なので10年経つ頃は隙間風に雨漏りも。
父とバトミント遊び。
積雪は10~20cm、家の裏には家畜小屋が、私が生まれた翌年に家を新築、木造平屋、居間10畳、炊事場6畳、寝室8畳、
子供部屋4.5畳、それに「ぽっちゃんトイレ」風呂場、玄関。
電気は無くランプ生活、水道も無く、家から10メートル離れた井戸からポンプで汲み上げて使用、5人家族とボロ家でも楽しい
我が家・・

開墾7年目に新築した経緯、費用など色々聞いたが、今日は記憶がもどらないのか、なにを聞いても「どうだったかなァ~?」
「う・・・ん」とインタビューが不調。
家の裏の家畜小屋の裏にあった青リンゴ(夏収穫)と赤リンゴ(秋収穫)の事を聞くと嬉しそうに話し始めた。
私が生まれた翌年、家を建てた頃に植えた二本のリンゴの木、十年後には2~3百個のリンゴがたわわに実った。
春には満開の花が咲き、夏から秋にかけて、真っ青なリンゴに真っ赤なリンゴが、美しい風景が思い出される。

父の話
あの、リンゴの木は惜しいことをしたなァ。
毎年たくさん採れたのに、牛を放牧していたら、幹の皮を全部かじり食べてしまった。
牛が木の皮をかじるとは思わなかった、ほんとに残念だった。
翌年には花が咲くことも無く枯れてしまった。

私の思い出、リンゴの木の下にはイチゴ畑に南瓜畑もあり、毎年楽しみにしていたのだが、牛が増え十数頭の頃、果樹園が子牛の
放牧場になり、母は毎年ジャムやアップルパイなどのおやつを作ってくれた。
木が枯れてからはクラスメートの西田果樹園から梨やリンゴを安く分けてもらった。
そのクラスメートは私と同じ名前で「稔」、今は音信不通、何処を放浪しているのか、実家の両親、兄弟も嘆いていた。

「三男の危篤」
私が生まれた翌年に新しい家も完成して、農業経営も大きく変化、農作業の忙しい毎日が続き、そんなある日、軽い咳をしていた
赤ちゃんの私が急に容態が悪くなり病院へ。
私はまだ赤ちゃんの頃なので記憶は、ほとんど無いので母から聞いた話。
熱もあり入院して様子を見ることになり、日々容態が悪くなり肺炎に、母は医者から「この薬が効かなければ危ない」といわれ
危篤状態に。
先生と看護婦さんの懸命の治療で快復し、その後30歳になるまで病気知らずで元気に育ち、母から何回も「危なかったんだよ~」と
聞かされ続けた。
2~3週間後に退院することが出来、母は安堵する。
でも、その病院の、ある看護婦さんに私を養子に出さないか、と言われた母は丁寧にお断りしたが、心の中で激怒、
貧乏で3人の息子を育てるのが大変だろうと思われたのがとても悔しく思った。
資産家でお金持ちだろうと、養子に出す気はサラサラないと。
父に当時のことを聞くと「そんな事もあったなァ~」で終わった。
「それだけかよ・・」

「叔母の思い出」
私が生まれ二年目の春、大阪の叔母(母の妹・5女)が美幌まで手伝いに来てくれた。
と、いっても!私には記憶があるような無いような、ブログのネタにしようと思い電話で話を聞いた。
叔母さんは「5年は居たんじゃないかなァ?」そしたら私が小学1~2年生になっている。
でも記憶が、薄い。
別の話題にして、美幌時代の話を聞いた。
叔母から聞いた話、「当時は貧乏生活だったけど、姉ちゃんは食べ物には贅沢に、お金を使っていたョ」
「とくに節句、誕生日、X”msなどの行事があるときとか、町に買い物に行くと、行きつけの店では、ツケでどっさり買い込み、
秋にまとめて払うから」と言って「姉ちゃんの太っ腹に驚いた」
父に叔母さんのことを聞くと「何年居たかなァ?」やはり記憶が薄れている。
春から秋にかけてはツケ(借金)で買い物する事が多く、秋の収穫後に借金払い、預金する余裕は無かったみたい。
私が高校卒業するまでそのような生活は続いていた。
農業経営の規模拡大で農地は3倍近く増えたが借金も。
私は幼い頃、ヤギの乳を飲んでいた記憶はあるのに、ヤギの居る風景が思い出せない。
それと叔母さんにはとても世話になっていたのにその風景も思い出せない・・
小学生になってからの思い出はたくさんあり叔母さんには申し訳ないのだけど、「めんよう」(毛糸を採るためのヒツジ)と
遊んでいたのは小学2~3年頃なので良く憶えている。
父にめん羊のことを聞くと、「めん羊はあまり収入にならなかったなァ~毛を刈るだけだし」

「親の期待」
両親は、三番目の子に娘が欲しい~と良く話していたらしい。
しかし、私が三男として生まれ、しょうがないなァ~と、あきらめ、でも末っ子は可愛い。
兄二人は兄弟喧嘩や生傷の絶えないヤンチャ坊主で手が掛り、三人目は大人しい娘が欲しかったそうです。
その願いのせいか、私の性格は大人しく利発で利口な子供に見えたそうです。
三人兄弟の中で一番頭も良く出世すると、過大な期待が、、、私の小学校入学後は、その期待を裏切り続けることになった。
今、記憶にある最古の思い出は4~5歳の頃、二人の兄は小学校へ、父母は畑へ、私は一人で絵を描いたり、泥んこで団子を作ったり、
絵を描く紙がなくなり部屋の壁に描いたり、当時は保育園も幼稚園も無く、友達もいなく一人で遊んでいた。
そんなある日、農繁期に農作業を手伝いに来てくれる人がいて当時、出面さんと呼んでいた。
その出面さんに私と同じ歳の女の子がいて何時しか一緒に遊ぶようになり、その子が来ると毎日「ままごと遊び」をしていた。
初恋?ではないが私の人生、初の友達でした。
小学校に入ってからはその、女の子と会うことは無く、クラスの男友達も出来、魚釣りや山で遊んだり、
男の子の遊びが中心になった。
その後「ままごと遊び」は したことは無いが、絵は、毎日描いて遊んでいた。
父母の期待を裏切り、ほとんど勉強はせず、

番外編
兄の感想、
「リンゴの花が綺麗に咲いていた記憶は無い。家畜小屋の裏には馬糞、牛糞(堆肥)が積まれ気持ち悪いイメージが・・
雨が降るとリンゴの木の近くまで流れて来るし」
私の反論・・
「最初は家畜が少なかったのでリンゴの木のまわりは野菜やイチゴの畑で、春から初夏にかけてリンゴの花や南瓜の花が美しく咲き乱れ、
その花にたくさんのチョウチョやミツバチが群がり、私には美しい牧歌的な思い出、数年後に牛が増え、堆肥もたくさん積まれる
ようになり、野菜畑は放牧場になり、馬糞、牛糞、堆肥のことまで詳しく書く必要もないし、書くつもりもない」
と話すと兄は、
「綺麗ごとしか書かないのか」
その言葉に私は激怒!
「私のブログに私の良い思い出を美しく表現して何が悪い。兄の思い出なんか関係ないョ! 私は実名で住所も、工房名も、顔写真も
載せているし、記事に責任もあり、兄のブログみたいに匿名で開設し好き勝手な話題を載せたり、酔っ払いのエロ話を載せたり、
そっちの方が問題だ。兄のブログを叔父や叔母さん、友人にはとても見せたいと思はない。
今回は徹底的に兄のブログを批判に攻撃を続け、胸がスッキリ~ その後はクラブ・ハイツで飲み続け途中で兄は帰宅。

「オーロラの記憶」
帰りの車の中で父にオーロラを見たときの話を聞くと、「だいぶ昔だからなァ~北の方の空に虹のような色で数時間、その後二度と
現れることは無かったなァ~」
私も兄も見た記憶が無いのでかなり昔の出来事、私の一生の思い出にオホーツクの空で、父母が見たオーロラを再度、見たいものです。


映画のロケ地
女満別の「メルヘンの丘」にさしかかると夕日が、、、ここは黒澤明・Sスピルバーグの映画「夢」の中の1シーン
「カラスのいる麦畑」でロケがあった場所。
牧歌的な風景が広がる(ロケは夏の麦畑で冬の景色は無い)

20年くらい昔、夜の10時頃、陶芸の工房が見たい、とTELが有り、こんな夜中に酔っ払いか、と思いながら、良いですよと答える
と10分後くらいに4~5人の派手な美しい女性が30分ほど見学して器でなく数万円のオブジェを買って行った。
翌日芳名帳を見ると「和田エミ」と書かれていて、ロケのスタッフだったんだと気がつき、それなら映画の話が聞きたかった。

親の気持ち子知らず
私が小学4年生になる頃、父の農業経営も順調に進み機械化の第一歩、外国製の赤いトラクターを2台、開拓農家5軒協同で購入して
農耕馬に変わり作業効率が飛躍的に伸びた。
そのころ両親は息子たちの教育にも熱心で、成績の通知表で5があると新品の自転車、机、イスなどの褒美が、二人の兄は色々買って
もらえたが私の成績は3しか無く何も買ってもらえず、それでも私はマイペースで勉強はせず絵を描いたり木彫り遊びに、
動物の骨の収集をしたり、親の期待を裏切り続け、夏休みになり通知表で初めて最低の1を3個も、父母は驚き嘆き、兄に
叩いてでも良いから稔に国語と算数を教えてヤレと命令した。
その日から兄が本性を現し兄鬼に変身、泣き叫ぼうが喚こうがムチの嵐、いじめの連続、兄のスパルタ教育は2年ほど続き、おかげ様で
成績は上がり、それ以上に、いじめに対しての抵抗力がつき高校、そして窯元でのいじめに近い修行にも耐えることが出来た。


卒業と進路(美幌窯の歩み)
私は高校を卒業する頃、窯元に修行に行くか、美術学校(2年制の各種学校)に進学するか迷っていた。
当時は4年後に工房「美幌窯」を開設し独立するなんて夢にも思っていなかった。
三年生になったときに新しく部活「陶芸クラブ」が出来、面白そうと思い即、入部。
それから「やきもの」魅力にはまり、部活の顧問の先生(物理・数学)に知り合いの窯元を紹介してもらい、陶芸の技術指導は網走
中央公民館の先生(後の網走市立美術館・館長)に習っていたので相談すると、窯元での修行を勧められ、幼い頃から画家や彫刻家に
憧れていたので、しばらく悩み、父の意見「自分の道は自分で決め好きなほうへ」母の意見「学費の掛からない窯元の方へ」
私は窯元での修行を選び、決断!
窯元へ旅立つ朝、母は笑顔で見送り、父の目には涙が光っていた。
短気で鬼のように怖い父だったので驚いたが、厳しい修行を予測していたのかも?

最初の修行先は部活の顧問に紹介された道内で有名な「k-窯」ここで3年近く「やきもの」の基礎を勉強した。
その後更なる修行を求めて津軽海峡を渡り秋田県にある歴史のある「N-窯」で1年チョット猛勉強、そして独立。
「Kー窯」での修行はアパート「内潟荘」で6畳1間を間借りして自炊しながら通った。
給料は弟子の身分なので高卒の平均初任給の半分くらい、労働時間は朝8時~夕刻5時(昼休み1時間)だがサービス残業が
週2~3回(1日2~4時間)あり、とてもハードな勤務が続いた。
弟子入りする前に聞いた条件は一日8時間労働。
その後はろくろの練習を自由にできる、とゆうことだったのだけど・・
「K-窯」には創始者の大先生・二代目若先生(ろくろ担当)・二男(窯焚き担当)・次女(経理担当)・他に従業員2人・弟子は私と
2年先輩のA君だけ(後に3人入門)。
A君は私より2年年下、でも兄弟子になる(中学卒業後弟子入り)
札幌出身で中学生の頃は悪で不良だったらしい(本人談)でも窯元ではとても働き者で早く仕事を覚え1人前になりたいと頑張っていた。
日曜日も休まず黙々と働いていた。
その影響で、私も無給で日曜出勤、残業と、兄弟子を見習い(嫌々?)つき合わされ、弟子の仕事の内容は先生の助手、窯出し、
釉薬掛け、窯詰め、などの手伝い、半年後には、ほとんどの雑用を覚えA君を追い越すことができ、その後彼とはし烈な競争、
ライバル関係になっていく。
現在彼は陶芸家として札幌を拠点に活動している。
今も良きライバル関係で親友とゆうより戦友で酒飲み仲間。

K窯での修行
k窯での初めての仕事は窯出し、窯詰めの助手、掃除、農作業や土木作業などの力仕事は慣れていたが、窯の仕事で徳利や細長い筒花瓶を
20~30個木の板に並べ片手で運ぶのは怖かった。
1ヶ月に2~3個は落として怒られていた。
でも、兄弟子のA君は不器用(オッチョコチョイ)で私より沢山落として壊し、よく怒られていたので私は内心安堵できた。
窯の仕事に慣れるのに2ヶ月はかかったが、その間仕事が辛い時や精神的肉体的に限界が来ると、トイレに駆け込み4~5分休んだり、
泣いたときもあった(ただし、修行を止めたいと思った事は一度も無かった)
5月の連休は2~3日休みがもらえ美幌に帰り高校時代に乗っていた90CCのオートバイに米や野菜を積めるだけ積んで、
自炊生活のたしにしていた。
当時高速道路も無く一部砂利道もあり美幌から修行先まで約300km5~6時間かかった。

修行時代は地獄だったのに今は雪が降って寒くなっても天国、怖い師匠も嫌なヤツ、上司もいない、私は一国一城の主だァ~。
修行時代は青い冬の時代、独立後の今は雪が降って寒くなっても桜色の夏の時代、温暖化、異常気象でも、今の気分は、天国だ。

窯元での修行が始まった頃、K窯では第一次「やきものブーム」で見学客や「やきものファン」で賑わい、忙しい日々が続いていた。
窯で焼く陶器のほとんどの注文品は半年後~一年後に納めるという過密スケジュール。
大先生・若先生も鼻息が荒く残業も続き、弟子の私たちも残業の手伝いをさせられて、轆轤(ロクロ)の練習はなかなかさせてもらえず
ストレスもたまり放題。
ストレスの発散は、近所にある喫茶店「ぐれいす」でA君と毎日のように通い愚痴や師匠の悪口を言っていた。
その喫茶店は客も少なく私たちはすぐ常連客となり、店には6~7歳年上のお姉さん(カウンター女性、店長、お世辞にも美人とは
言えないが)二人いて毎日愚痴を聞いてくれた。
その女性は歌手の和田アキコ、九重ゆみこに似ていた。
私がK窯を去って数年後、アキコは結婚してゆみこは市内の繁華街でスナックを始めたが、体調を崩し病で亡くなったと、
風のうわさを耳にした。
K窯で修行していた3年近く、たいへんお世話になり、良い思い出も沢山できてとても感謝しています。
ご冥福を、合掌・・

修行中に新聞取材
修行もだいぶ慣れた秋頃、A君と私が修行中の活動を取材したいという話が北海道新聞社からあり、大先生にも後押し、していただき、
昼間からロクロの練習風景の撮影に入った。
このときは不思議なくらい気合も入り集中力もありロクロ職人のようにすらすら流れるように湯飲み茶碗が作れた。
私たち以上に師匠も驚いていた!
私もA君も良いところを見せようと必死でライバル心にも火がついた。
写真の撮影は1時間ほどで終わりインタビュウーがはじまる。
記事の詳細は忘れてしまったが、最後の〆はA君「無名でもいいから使いやすい器を作りつづけたい」私「技術が身につき大作ができる
ようになれば公募展に挑戦したい」「夢見る方向は違うが将来の陶芸家を目指し修行中・・」と書かれていて、その最後の言葉だけ
印象強く今も思い出される。
取材で話した夢の続きは現在進行形、A君は札幌市で陶芸教室を手広く主管し300人以上の生徒数を受け持ち、自宅工房では
薪窯に憧れ「穴窯」を使っている。
昔の夢とはチョット違っているが、私は公募展には若い時に挑戦し出品し入選も入賞もしたが、最近10数年以上出品はしていない。
創作はオホーツク焼の器が中心になってA君の夢を私が引き継いだみたいだ。


内潟荘の出会い
K窯修行の3年近く、自炊生活をしながら過した内潟荘は人の出会いと思い出を沢山残してくれた。
私は6畳1間5~6000円で間借り、電気料金は電灯40円、ドライヤー30円、電気毛布50円と、それぞれに料金が
課せられていた(のちにトラブルに) 
A君は若先生の家に下宿していたが自由になりたくて、2ケ月後に私の隣の部屋に引越してきた。
そんなある日、A君が家主に怒られていた。
未申告の電気製品があったのと「寝たばこ」をしないように注意され(A君は未成年でもヘビースモーカーだった)
その、様子を見ていた私は家主に問いかけ口論になった。
口論の原因は家主が未申告の電気製品を見つけるために住人の許可もとらず部屋の中を見回りや捜索を毎月2~3回、それも住人の
留守のときにしていたのだ。
それが家主の当然の権利だと主張。
話合いはもの別れになり、家主は警察官を呼ぶと言い出し、私はどうぞと答え、その様子を聞いていたA君の隣の部屋の住民B君は驚いて
私たちのところに来て、(B君は高校卒業後お役所勤務、私と同じ社会人1年生。8畳1間を間借りして2~3日前に引越して来たばかり。
B君に口論の経緯を説明すると「とんでもない家主だ」と私たちに同調してくれた。
そして、1時間後に警官がやってきた。
その警官は最初、家主の主張だけ聞いて説教し始めたが、私とA君B君が猛反論すると警官は戸惑い「両者で冷静に話し合って・・」と
言い残し、そそくさと立ち去った。
その後の話し合いは記憶に無いのだけど、家主との気まずさだけは残っていた。
数年後私たちが転居したあと家主は年老いた住人だけ入居させ、若い住人は入居させなかったそうです。
現在、B君とは親友として家族ぐるみでお付き合いさせて頂き、私のブログも見て感想もメールで寄せてくれる。
B君は「気恥ずかしいから俺のことはブログに書かないで!」と言われたがゴメンナサイ、書くことにしました。
不名誉になるエピソードは載せませんので悪しからず・・


冤罪(権力側の犯罪)

理想は死刑廃止であっても、現実的には死刑制度は残すべきかも知れないが、

日本人にはなぜ死刑制度が必要か、と言えば、日本人にとってそれは『信仰』だからである。

信じられるものが何もないこの世の中、確かなことは、悪いことをすれば必ずそれ相応の報いを受けるということ、
その究極に死刑があり、死刑は厳粛な死という事実の前に神の意志を感じることが出来、これは日本人の宗教である。

懲役○○年や罰金○○円に神の意志を感じることは出来ないし、判決を言い渡すのも人間、
刑を執行するのも人間であるが、日本は恥の文化を伝統とし、罪は潔く死をもって償うべきであり、
日本人から最後の歯止めとしての死刑を奪ったら、日本人は堕落の道をひた走ることになるだろう。

キリスト教は神の創造物たる人の命を人が奪うのは「悪」、仏教も「命尊し」であるが、
イスラム教は死刑は必需であり、強'姦'被害者が死刑になる事もある。
ある宗教は、死後、裁きにあう、とか言うが、生前ろくなことをしていない奴は、
死後さばかれるとしたら極刑はまぬがれず、極刑というと当然『 死刑 』!?


1.石川五右衛門 権力者への反逆
2.イエスキリスト 社会秩序の撹乱
3.東條英機 敗軍の将

死刑には理由がある、死刑以外有り得ない、死刑意外ではない、それが妥当なものかの判断はそれぞれの価値観による。

血を見たい人間の本性は変わらない、進化していない、厳罰化の流れは、秦の始皇帝の時代、退化する法治国家の危うさ。

真剣とは血を流すことであり、真剣以外は八百長、世の中皆八百長、八百長は娯楽だから楽しいが、血を見る真剣は冷酷無残。


裁判は疑わしきは罰せず、異常者は無罪だが、戦争では疑わしきは即殺せ、そして
法は、勝者すなわち強者(権力者)によって作られる。

黄門様の葵の御紋にひれ伏す「権威への盲従」、お上に間違いの有るはずがない「権威の盲信」、
権威(権力)に弱い日本人は冤罪による死刑執行など有り得ない と無邪気に考えているが、
無実の人への冤罪、つまり権力側の犯罪さえゼロに出来るなら、死刑制度は残すべき、かも知れない。


存置派は「殺人さえゼロに出来るなら、死刑は廃止してもいい」と無茶を言う。


取り調べで 髪の毛を引っ張られ蹴っ飛ばされ「殺りました」と、白状・・

ヤッテもいないのに?

信念の有る奴なら 手足に釘を打ち込まれても吐かない?

足利女児殺害の菅家利和無期懲役囚 釈放
(2009.6.4)


裁判長)殺ったんですね?

菅家)やりました・・

弁護士)本当は やってないんでしょう?

菅家)本当は殺ってないんス

検察官)嘘吐きは泥棒より悪い・・

菅家)裁判撹乱すんまへん

傍聴人)無期懲役で良かったネ

傍観者)死刑でなくて良かったネ


菅家 女児殺害事件でDNA鑑定の 当時の最先端の科学技術というのがいかにインチキかが証明された。
毒婦、林眞須美のカレー事件でも亜ヒ酸(砒素)鑑定の大型放射光施設スプリング8など
最先端の科学技術というのがいかに インチキか未成熟か が証明されるかも・・


行政刷新会議の事業仕分け人は大型放射光施設スプリング8はインチキ(税の無駄)と断定した。
(2009.11.13)




天子の社稷を祀る最高の贄、牛・羊・豚は大牢、
羊・豚は小牢、であった。


羊は高温多湿を嫌い日本では珍獣であった。
明治に北海道で飼育され緬羊と呼ばれた。
木綿の綿より高級な縮緬の緬とは面妖で御免。


義経が大陸に逃れジンギスカンになったと言う人もいて、
ジンギスカンは北海道名物となった。


義経は中国人に喰われた??


気になる欠陥人

殷の時代の犠牲、生け贄には羊、豕(ブタ)、犬、牛のほか、羌人、南人など、牧羊民族の羌人はすぐ捕まったが、
南人は勇猛果敢で中々捕まえるのが難しかったらしく、また、犠牲の使い方も、水に沈めたり、焼いたり、切り裂いたり、様々であり、
牛十頭と羌人(チベット系)3人の牲の記録など有り、神に捧げた後、喰ったに違い有るまい。

チベット人は現代中国にても犠牲者である・・

羊を鋸で二つに切って神への犠牲にする字が「義」で、切断して毛並み、角のほかに内臓もすべて完全であることを証明するためで、
まったく欠陥が無い正しい犠牲のことを「義」といい「ただしい」「よい」の意味となった。

痔を病んだ即ち欠陥人は神に捧げる犠牲にはならなかった。


殷墟殉葬には首無しと頸だけと頚有りが数百体有り、首無しと頸だけの数は合わず首が多いが、
頸と体が合体したい怨念を目から放射して侵入者や霊蠱を威嚇する装置
若しくは
羌人30人を凶刃で首切り首を死んだ王に供え王霊に霊力を加算し強化する装置
と考えられる。

目は重要な目玉で、首は目の上に毛がある字で、道は首とシンニョウからなり異族の首で、臣は目玉を90度回転した形であり、
見は目に足を付けたゲゲゲの鬼太郎の目玉親爺、媚女は眼力レーザー光線で敵を悩殺し敗れたら斬られた。

伐はホコで人頭を斬る儀礼で、これは王即ち神の死した場合(神の死?)のみに行われた。

怪漢、快感、快刀乱麻、快は刃物で分断する勢いをココロヨイとするもので、殷人の血祭大好き人間らしさが溢れている。


卯(ボウ)は生け贄の二つ裂き、シ(師の左の字)は卯を90度回転した形で切断はされてなく軍の出征時に奉じる祭肉、
社に祀った賑肉、尾頭付きが正式な様に肉もそうであろうから、師の左の字は、それであろうか。

卯は頸斬り・胴切りで人・家畜の両断、師の左の字は頚繋がりで人の動脈切りか。

小山鉄郎は師の左の字は二枚肉とするが、皮一枚で繋がっている意味であろう。

殷王朝の立役者、伊尹は料理人であり、師であったから、師という字の肉を切り分ける総帥の意に合う。

日本人には人の魂や真心はその腹部に宿るとする考えがあり切腹が武士道を貫く上で最も相応しい行為と考えられ
最も重要な部分である はらわたを露出させること により自身の勇気、真心、真情(いつわりの無い心)を示した。


ウッ!
西暦2011年の卯はギロチンみたいに両分する形、真っ二つに切り裂くさまを示し、M党の行く末を予測するかのよう・・

★卯 
ボウ、さく、ころす、う;生け贄の二つ裂き、両分。牲肉を両分する(した)形。祭祀に犠牲を割く。
劉殺、劉=卯(両分)+金リ(えぐる,けずる)
祖乙(ソイツ)に羌(キョウ)十又(有)五を侑(すす)め、羊(ワ冠)を卯(殺)し、一牛を侑(すす)めんか(卜辞)
*羌;キョウ、ああ;羊頭の人に象る
*羌(キョウ)は、ときに辮髪有りで示されチベット系と思わる牧羊族。卜辞に獲羌を卜する例、羌人を犠牲とする例多し。

★侑 
有(侑)は祭肉を持って供える形。肉を持って神に侑薦する。有が多義化し侑が派生
卜文には有りに又を用い、金文には有りを用いる。金文は又を右、有りに用いる。
「又」は右の初文だが右に用いない。

★宜 
ギ、まつる、よろし;俎(まな板)に多(多肉)を置く形。俎肉。肉を殺(そ)いで俎上に載せ祀ること。肉を以て祀ること。
羌(キョウ)3人を宜(ころ)し10牛を卯(さ)かんか(卜辞)
*宜弟;長子生まば鮮(ころ)して喰い次子に継ぐ
*鮮;セン、あたらしい、あざやか、すくない(魚3+羊3=腥臭)
*新鮮は腥臭(鮮=なまうお,魚+なまにく,羊)有り

★伐
バツ、ベツ、うつ、きる、ほこる;戈(ほこ)で人を斬る形。戈(ほこ)を以て人を斬る形。戈で人頭を斬る儀礼。
羌(キョウ)30人を伐(ころ)さんか(卜辞)斬首葬、殷墟殉葬

★師
シ(師の左の字)は卯を90度回転した形で切断はされてなく軍の出征時に奉じる祭肉、
社に祀った賑肉、尾頭付きが正式な様に肉もそうであろうから、師の左の字は、それであろうか、
卯は頸斬り・胴切りで人・家畜の両断、師の左の字は頚繋がりで人の動脈切りか

★多
多肉の意。牲薦の肉の多いことから多いの意になる。

★埋
犠牲を埋(うず)める。埋沈を以って山林川沢を祀る。

★沈
卜文は水間に牛や羊を加えた形。犠牲を沈(しず)める。埋沈を以って山林川沢を祀る。

★然
犬肉を焼いて脂の燃える臭いで天神が祭儀を享ける。卜辞に犬牲を燎(焼)き天を祀る祭儀有り。
類は米と犬(大は点省いた)と頁(拝する形)


浜栗(蛤)

殷では蛤が戦争必携品であった。

大ハマグリは雉が大水に入り変身したもので、鳥は、神意の媒介者、王と太陽を結ぶ使者であったから、
大ハマグリの賑肉は神聖にして呪力を宿し敵を呪い殺す武器だった。

シ(師の左の字)の古代文字は二枚貝がパカッと開いた様な形にも見え、師の左の字は本当に大ハマグリなのか? と、
小山鉄郎は白川静に問い質したが「ハッキリしないんよ」と言われた。

師は2500人、旅が500人で、軍が出撃する際に持っていたらしい肉、賑肉は、当初は大ハマグリであったかも知れないが、
大ハマグリが神の使者の化身としても実際問題、日持ちしないし、海から遠ざかり遠征が長期間になるにつれ、次第に、
呪詛より実効・実利が重んじられ、戦士兼食糧として生きて戦い、飢えて喰われる戦用奴隷が重宝された、 のであろうか?

生きて戦い、飢えて喰われるも、勝ち進む限りは当然ながら敵側が喰い物で、それはつい最近の文革迄もそうであったし、
喰われる殷兵が殷が賑い喪失し亡びた原因の1つで、武器を逆様にして降伏した理由でもある。

早々に勝利を収め無事帰還出来たときの帰の旧字はシ(師の左の字)を含み帰賑の礼を意味した。


(注1)賑は貝偏→月偏で、大ハマグリのなま肉(生きて元気な肉)のことで、熟れ肉は塩辛風味、振播(手偏→月偏)シンバン
;社稷・宗廟に供え同姓の国に賜る肉で シンは生肉、バンは熟肉
;蛤(ハマグリ)貝殻は耕耘に用いたり刃物として用いた。
;貝偏→示偏=神に捧げ。

(注2)竹が蛇に、蛇が雉に、雉が蜃に、大ハマグリは蜃、蜃気楼を吐く蛟(みずち)で、辰は辛気臭いから辛を飾り龍と成る

(注3)蜃(シン、かい、はまぐり)は蛤の貝殻を焼いて粉にした、かきばい、いしばいの意味有り

(注4)シ(師の左の字)の古代文字は二枚貝がパカッと開いた様な形にも見え、貝殻を焼いて石灰(いしばい)止血に用いるなら、
あらゆる軍事行動において必需であり語意として正解かも知れない。
蜃は蛤の貝殻を焼いて粉にした、かきばい、いしばい(石灰)止血、虫害祓除。

(注5)シ(師の左の字)の古代文字は二枚貝がパカッと開いた様な形にも見え、又、8字にも、66を縦書きした様にも、g にも見え、
共通するのは二つの輪が繋がった形、つまり手錠で、鉄は未だ発見されていないからヒモで二人の戦用奴隷を連結し、
軍出征の際、就寝時の逃亡を防止したのか?
その後、作戦に夜襲が採り入れられるようになった時代には戦用奴隷用手錠も無くなり、古代文字にその痕跡を残すことになった。


唐土(尊と)の鳥を喰わず

唐土(尊と)の鳥と日本の鳥と渡らぬ先に云々は、害鳥追い払いのオマジナイ。

荊楚歳時記に曰く、正月一日を鶏と為し、二日を狗と為し、三日を羊、四日を猪、五日を牛、六日を馬、七日を人と為す。

一日鶏を殺さず、二日狗(犬)を殺さず、三日は羊、四日は猪(豚)、五日は牛、六日は馬を殺さず、七日人を殺さず。

一日鶏を殺さず、というのは、新たな年の夜明けを告げる大事な役目が有るからであり、
二日~六日は置いて問題は七日。
七日人を殺さず、を【刑を行わず】とする愚かな日本人がいるが、歳時記のお正月民間行事に関する記述に、
中国司法機関の業務予定である死刑執行が云々される訳がない。
『人を喰わず』と素直に読むべきである。
殺さず(喰わず)であるから元旦から松の内の間、おかゆだけ、ってのも有りという年中行事なのである。


(注1)広大な大陸のほんの一部(揚子江中流、湖南と湖北)、5000年の歴史のほんの一時期(六朝)その記述(六朝、梁の宗懍)
での判断は不当との言もあるが、詳細記録はこれがメインである。

(注2)羊猪の順異同有り。二日猪有り。

(注3)鶏は早朝鳴き人起し門守る大功に報い門戸に懸くる。

(注4)元旦~七日の説は、その日晴れればその物育ち、陰(くも)れば災(わざわ)い有りとする占い、との説も有り、
正月八日は穀の日で、この日の晴曇でその年(年は稔りを意味す)の豊凶が知れるという説もあった。

(注5)朔(ついたち)歳朔さいさく、朔旦正月、正月は農耕儀礼の行事多く、年の初めに豊産を祈る

(注6)旦は雲間からのぞく太陽、地平線・水平線(_)から出づる日輪

(注7)荊楚歳時記は守屋美都雄翻訳、
梁の宗懍(そうりん,湖北の江陵の人)が6世紀498-502に著述、7世紀に隋の杜公瞻(とこうせん)が注釈




売春でしかセックス出来ない女

SEXするに金を払うしかない男
(中村淳彦)


金玉有っても金の無い男

大穴有って孔も有る女。



男女論。

人類繁栄の観点から産む女を優先するなら
・男の子を助ける理由にはならない
・ババァを助ける理由にもならない
・数人の女を助けても総人口からは誤差の範囲。

女子供優先は宗教上の理由
・キリストは弱き者に慈悲を与えよ
・本当は完全な女差別
・女はそれを悪用し続けている
・現在では子供は未来があるから優先する
・女には何も無いが習慣的に続けている
・これを女の側から男差別として問題にはしない
・女が優遇されていることは問題にしない。


男が女を守るというのは自分の女を他の男から守るということにすぎない.
守られてさえいなければその他の男の方がよっぽどいい男かもしれないのに.
理解者はほしいけど保護者はいらない.
理解者 = 自分の都合のいいときだけ守ってくれる人.
 
 
 
種の保存に必要な原始的欲求【食欲、性欲、】

だんだんと色々なものが充足して行く割に、
いつまでたっても余りうまくいかないものが、結局、男女関係、
男と女の欲望をどう満たすかが近未来の大問題!
って、実は今現在の大問題だったりして?


【生】
自然のまま成長したら、
女は雄々しく育ち、
男は女々しく育つ。
だから、
男は男らしく、女は女らしく育つように教育するのである。

女は、同性が気になり、
男は、異性が気になる。

女は生きて楽しみ、
男は死んで名誉を得る。

女は死んで骨を残し、
男は死んで名を残す。

女は死んでも化けて出る
男は死んでも野垂れ死に。

女はお嬢さんと呼ばれて悦び、
男は社長と呼ばれて得意になる。

人間関係を
男は上下関係でとらえ
女は遠近関係でとらえる。

女は横からの説得に弱く
男は正面からの説得に弱い。

男は疑うが
女は信じようとする。

女は泣いてごまかし
男は笑ってごまかす。

利口な女は 馬鹿な男を操る。
馬鹿な女も 利口な男を操る
(キップリング)
良い女は 男を血塗れにする
(生理でもやらせる??)

女は人のために働き
男は金のために働く。

男3人は分裂する
女3人は結束する。

男は行間で読み、
女は文脈で読む。

女は、群れて安堵、
男は、独り落着く。

女はおつりを受け取り
男はチップにする。

女は、割り勘、
男は、おごる。

女は、隣が買ったから買い、
男は、隣が買わぬから買う。

女は、安けりゃ不要買い、
男は、必要なら借金でも。

女は、ムダを責められると弱く、
男は、ケチを責められると弱い。

女は、無駄はムダ、
男は、無駄も有益。

女は、住むため帰り、
男は、寝るため帰る。

女は、遅れ、
男は、早目に。

目の運び、全方位の女
一点集中の男。

女は、初体験で終わり、
男は、初体験で始まる。

【話】
女の会話はピンポン
男の会話はキャッチボール。

女は、失敗談、
男は、成功談。

男が「今の話題」と「さっきの話題」を区別しても
女は「今の話題」に「さっきの話題」を持ち出す。

女の会話は仲間の絆を強める共感型
男の会話は情報交換の問題解決型。

女は愚痴り、
男は誤解する。
女は愚痴で共感を求め、
男は相談だと誤解しアドバイスを返し女の怒りを買う。

男は言う「駄目だ!」と一言。
女は言う「そうね、分かるわ。でもね、」ここからが長いのだ。

男は言う「悪かった!」と。
女は言う「私が悪いの。でも、」自分が悪くても相手も悪くする。

女は、何でも話せる関係、
男は、話しは不要の関係。

好意(行為?)
女は話しながら相手を見つめ、
男は聞いている時に相手を見つめる。

女性が男性にしてほしくない会話
3位・野球の話
2位・会社の話
で、1位は
会社で野球をした話

【恋】
騙し愛
女には、さも愛しているように話せばいい
男には、さも退屈しているように話せばいい。

女は自分を笑わせた男を忘れない
男は自分を泣かせた女を忘れない。

男は女の初恋の人になりたがり、
それは男の無用な見栄。

男はロマン
女はロマンス

【性】
女は一度なら許す
男は一度でも許さない。

或る男の発言
「3回も女を取りかえる奴は打ち首獄門だ」
女の賛成は ~グーの音もでないほど慰謝料を取れ!
男の賛成は ~羨ましい限り!

男は性で興奮し
女は恐怖で興奮する。

男は性欲と愛は別のもの
女は性欲と愛は同じもの。

男はしたがり
女は愛を求む。

男は『それ』で終わり、女は『それ』から始まる。
『それ』ってなぁ~んだ?

男の欲望は、エッチすれば終わり、
女の愛は、そこから始まってしまう。

sex のあと、
女は、体寄せ、
男は、離れる。

男性のシンボルは具体的
女性のシンボルは抽象的。


女は女の性を生きる性欲、肉体の意思に従い、
肉体を使ってセックス、出産にエネルギーを費やす。
これが出来なかった女はオニババになる。
(三砂ちづる)