どこまで教えるか。 | MasaYan24Hours

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MasaYanの気まま日記

だいぶ授業にも慣れてきた。

担当は、物理学・数学演習 1、3。

2 つほど、思うことを既に書いた。

新年度始まる

大学生活について考えた。

で、授業ごとにいろいろ考えているので、第 3 回目。

今回は、「どこまで教えるか」について。

以前の記事 (大学生活について考えた。)で、大学では自由に思うことを信念もってやりなはれ、ということを書いたのだが、どう間違えたのか、最近、きちんと教え過ぎていたような気がする。

最近の授業中の流れはこうだ。

1.) 演習の授業なので、各自問題を解いている所に回っていって、質問等を受け付ける。

2.) やっていない人がいたら、やるように指示。このとき、全然分かってない人がいれば、問題が解けるレベルになるまで、授業前の知識をさかのぼって説明。

3.) ある程度説明したら次にいく。

4.) やらない人はまたすぐやらなくなるので、気にかけて定期的に教える。

以上をしながら、黒板に学生の回答が出そろったら発表してもらう (演習の授業は、問題を解けた人が黒板に解答を書いて、発表するのだ。)。

で、今週の両授業で若干疲れを感じた。

この疲れは何なんだ、と自分の中で今回考えた。

冷静に考えて、以前の記事 (大学生活について考えた。)と言ってることとやってることが違う。

やり過ぎだ。

まぁ、こうなった理由は、最初の記事 (新年度始まる)に書いたように、ちょっとつまずいてしまった人が引っかかってるちょっとした問題を取り除いて、再びがんばってもらおう、という考えがもとになっているんだと思う。

また、「だれでも、授業内容は (最低自分が教えている演習問題は)、全部理解できる」という信念もある。

なので、初期の段階の手厚い援助は妥当だと思う (一般的にはそこまでしなくていいが)。

だが、もう 6 回目の授業が終わり、前期も約半分終わったところで、これを続ける理由はなくなったのだと思う。

なぜなら、やらない人はいくら教えてもやらないのだ。

そこにむなしさを感じ、疲れを感じたのだ。

よくあるあれだ、「期待し過ぎ」。

そんなに思うようにいったら、人生悩みなんてないですよ、と。

結局は、前回の記事 (大学生活について考えた。)が的を得ている。

そろそろ手厚い援助は止めて、自発的にがんばるフェーズ (段階) にさしかかっている。

なので、次回の授業からは、こちらから、やっていない人等に積極的にサポートには行かないことにしようと思う。

急にそうすると、戸惑うこともあるかもしれないので、その旨伝えるかどうか、伝えるならどういう形式で伝えるか、考え中。

一方で、考え方自体は変わらない。

やろうと思う人には最大限のサポートを提供する。

授業中の質問を受け付け、授業外の時間の質問も歓迎。
(ただ、今やる気がなくて、後で (例えばテスト前とかのみ) 訊きに来る人がきっといると思う。また、例えば 1 年後とか、結局ここで勉強する内容を習得できていないために、また教えるハメになることを考えるとやはり憂鬱になる。物理は積み重ねなので、今できない問題があるために、先に進んだときに結局前の壁を乗り越えなければならない状況になることが多い。)

結局は、自分でやらないと身に付かない。

もっといえば、理解するためには、それなりの時間を割かなければいけない。