我が家には五歳の息子がいる。

 

子供は身内であって自分ではない。

 

他人なのだ。

 

この五年間、息子を見ていて思うのが、教えなくても自分で色々と出来るようになっている。

 

箸の持ち方、使い方、私の見えないところで妻さんが一生懸命教えていたのだと思う。

 

とにかく成長というものは凄いと思う。

 

先日、ちょっとしたことで、息子を叱った。

 

「それは家だけでやっていることなのか?幼稚園ではやってないことなのか?」と聞いてみた。

 

どうやら幼稚園ではその他人が嫌がることはやっていないらしいが、私が不快に感じたことを家ではやってしまうようだ。

 

私に対して、ちょっとしたノリと勢いでやってしまったんだろう。

 

過去にも嫌だよ、そういうことをされたらって伝えてはいたのだけれども。

 

実際に私が息子に対して同じことをしたら超絶嫌がっていた。

 

今思えば私も場所を変えて息子に同じことをしていたことを思い出し罪悪感に陥ったが、今この場所ではして欲しくない、すぐには対処できる場所ではないからということで、やめようねという話をした。

 

家でやっていたり、発している言葉は、幼稚園や家以外の場所でもきっと行動として表れていると思うから。

 

大人であればある程度理性で抑えることはできるかもしれないが、五歳児にまだできることではないかもしれない。

 

それでもいろいろと気を遣っているなという姿を見たことはあるが、ちょっとした時に今この場面では言うことじゃないようなことを言っていると聞いていたので、いかにお友達に嫌な思いをさせないように、自分が嫌なことをされたらどう思うかを私が息子と接することができるちょっとした時間で教えることができたらいいなと思っての行動だが、実は自分にも、人に対しての態度や言葉を気を付けないといけないなと思わされると、叱った罪悪感と共に考えさせられる。

 

本当は叱りたくない。

 

楽しくワイワイ、イチャイチャしていたい。

 

一日の中でもほんの少しの時間しか接することができないのにごめんね。

 

あんな𠮟り方はないよな。

 

叱った後、一緒にお風呂に入るころには息子の気分は、大人よりも早く切り替えることができているのかはわからないが、無邪気に接してくるのは本当に見習わないといけないといつも思ってしまう。

 

叱るってことは自分の価値観の押し付け、押し売りなのかもしれない。

 

自分だってみんなに嫌な思いをさせないで生きているかと問われたら、きっとそんなことはないと思う。

 

生き方を息子が教えてくれているって言っちゃうと奇麗すぎる締めかもしれないが、子育ては親育ちなのかもしれない。

 

まだまだお子様です。

 

わがまま親父です。