最近、いや最近ではなく本を読んでいると分からない言葉を見かける。


さっきも『齟齬』(そご)という言葉をみて、前後の文面から大体は理解出来たのですが、漢字は難しいしなんとなく理解出来たレベルでは実際に使うことはできないので調べてみた。

今ではネットで簡単に調べることが出来るが、自分が学生の頃は辞書を引いていました。


『齟齬』とは物事がうまくかみ合わないこと、食い違い、ゆきちがい。使い方としては、「両社の意見に齟齬をきたす」「計画が齟齬する」とコトバンク kotobank.lp に記載されていました。


一つの言葉を調べるのは子どもの頃は教科書を読み進める度に辞書を横に置き、その都度その都度調べていたのに、今ではネットがあるから辞書なしでもいい生活になりました。この横着?は電子辞書が普及した頃からですね。きっと。


簡単に調べることが出来ると、それまでの過程が省略されて、苦労無しに情報が入手できてしまう。


でも忘れるのも簡単ですよね。

辞書を開き、調べたい言葉に辿り着くまでに他の色々な言葉を通過してその言葉にまで辿り着くという過程が知りたい言葉だけではなく、その前後にある言葉も目に入ってくる。

その過程の欠如が語彙が少なくなっていくのかなと思いました。



結果だけではなく、それまでの過程、出来事、苦労が大切なんだなと改めて思いました。(次元が低いwww)



自分の仕事でも、目の前にある症状だけを見るのではなく、この症状が出てくるまでの過程も気に掛けるようにしています。とにかく治ればいい!!!確かにそうなのですが、途中の症状発生から今に至るまでに辛くなったのか、楽になったのか、または疲労の蓄積ではないのか?その疲労を上手いこと処理できなかったのか等々・・・

その途中の過程の違いでも判断、治療の内容が変わってくるので。




今度本屋に行ったら自分に合う辞書を買おうかな。