船橋市行田にあった無線所から朝鮮人の暴動に関しての流言卑語(デマ)が電信で主に関東地域に発しられた事については昨日の福島みずほ社民党首も質疑されていた動画を揚げました。

 そして、現在、その無線所の跡に記念碑が建てられている事について、今日、船橋市の広報に電話で尋ねたのです。それは、何故かというと記念碑の下の説明書きに旧海軍の名称が入れられてあるからです。そして、その文章の全文はこのように書かれてあります。

 

 関東大震災の時には救援電波を出して多くの人を助けた...」との記載もあるのですが、この救援電波って本当なのでしょうか?救援電波では無くて暴動に対して自警団などの人不足で流言卑語の電波(電信)を出したというのが、真意ではないでしょうか。

 ちなみに、以前にも書きましたが、船橋市においては、千葉県内最大と言われる38人の朝鮮の人たちが本町にある天沼公園近辺で無残なかたちで殺害されていて「九月、東京の路上」に書かれている、船橋の現状においては朝鮮の小さな子どもが殺害される直前に「アイゴー아이고」と悲痛な叫び声を残しているとされています。また、違う論文においては、習志野警察に連行されて、押しかけた自警団の手によつて惨殺されたとの記述もあり、それらの合計の人数は50人以上とも書かれてあります。

 

 

 つづく