前記事の続きの転載です。

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老兵は死せず、とは進駐軍総司令官マッカーサー元帥が、日本を去るにのぞんで残した言葉で有名である。
 これより数年前の45年八月、広島市の建て物とり壊しのため、県内から四十才台の補充兵が動員された。当時はすでに若者は出尽くしてしまい、残っていた者は兵隊仲間では老兵に属する者ばかりであったから。
 その召集風景を「くすの木」の歌から拾ってみょう。


 壮行の辞を述べた当時の収入役兼重堤二さん(65)は「戦争に行くんじゃないから」と陰でこっそり慰めたたが、後で思えばわざわざピカを受けに送りだしたようなものだ、とくやむーと。
 その甲神部隊が三百人中二百七十八人死んだというから殆ど全滅に近い。その凄惨のさまを説明するため、同じく被爆の実相を「原爆戦災誌資料」から引用しよう。

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  原爆に関する「くすの木」の歌に関して最近では、とある歌手が歌っていますが、私はあまり、印象を植付けられません。それよりも原爆によって被爆(被曝)され、亡くなられた形相です。書いてあるように「凄惨のさま」です。これは進駐軍のマッカーサーが日本を去る時に言った言葉の「老兵は死なず」とは真っ向から違うという事です。

(つづく)

2025年5月29日

船橋市海神:弓場清孝