「甲神部隊」の話しの続きになりますが、私の生まれ故郷の村で生家から五軒ほど下ったところに節子姉さんの家がありました。その家も私の生家と同じような茅葺屋根の家で高齢のお父さんと二人住まいでした。節子姉さんには兄さんがおられたのですが、「甲神部隊」で召集され、広島市に入市され、建物疎開に出向かれていたのです。それで、八月六日過ぎても帰郷されないものだから、節子姉さんが広島に救援に出向かれたのです。

 

 結局、消息も判らず節子姉さんは帰郷されました。かなり、広島市内のあちこち(太田川沿い)に造られた救護所を訪ねられたと聞き及んでいます。帰郷されてからの節子姉さんはしばらくは健康だったそうですが、私が小学生4,5年生くらいの頃から、体の不調を訴えられるようになり、家事も出来ない状態になられたので、友達だった私の母が心配して私に家事の手伝いに行くようにと、言われたので、節子姉さんの家に学校から帰宅してから手伝いに行っていたのです。内容はヤギの乳しぼり、風呂の水を庭にある池からバケツで汲み風呂桶に入れたり、夕食のおかず作りなどの手伝いでした。節子姉さんの症状は下記のようなもので、典型的な晩発性後遺症(原爆症)でした。

●広島原爆投下後に入市された人たちの症例(神石郡) 

(女性)*頭痛がする*胸がしんどくなる*神経痛・肩こり・目の疲れ*食欲不振*高血圧・腰痛・貧血・めまい・足痛・鼻つまり・関節痛・体がだるい・時々貧血

 

 

これに加え、脱毛、歯が抜けるなどの症状も後から発症されたと聞いています。(つづく)

2020年8月17日

船橋市海神:弓場清孝