戦中に石井四郎が率いる731部隊(関東軍防疫給水部)が中国のハルピンで行ったことは様々に報じられてはいますが、やはり今回のコロナウイルス感染を仕切る厚生労働省や国立感染症研究所の思惑と似てるところが多いと感じます。

 そこで、いくつかの酷似点を書いてみたいと思います。

 まず、日本軍による人体実験ですが、舞台は中国の北東部でハルピンの郊外にあり、そこは致死的な生体実験を秘密裏に行うための特別な一大研究施設だったようです。しかしながら最近の研究によると、731部隊は、中国各地からシンガポールなどの南方にまで広がる石井の防疫給水部ネットワーク(「石井機関」)の一部にすぎなかったことが明らかにされているようです。石井機関のかなめは731部隊ではなく東京の陸軍軍医学校防疫研究室にあり、その活動には当時の日本の医学界をリードしていた大学教授たちが嘱託として大勢協力していました

 731部隊問題は、許されざる医学的犯罪の要素を持ちながら、解明されることもなく、責任も問われることなく免罪化してうやむやになったことが、いつまでも疑惑を残す結果になっていますが、関東軍防疫部は、ハルビン市街の南東約15kmの平房に、背陰河の施設よりも堅固で本格的な設備を備えた施設を建設し、1938年から39年にかけて移転しました。1940年には「関東軍防疫給水部」と改称し、牡丹江・林口・孫呉・ハイラルに支部を持つようになります。平房の本部は1941年に「満州第731部隊」と改称されました(支部も合わせた関東軍防疫給水部全体は第659部隊)。731部隊は4つの支部以外に、大連にあった南満州鉄道の研究所も傘下に収めて支部とし、さらに平房の約260km北の安達には細菌兵器の実験場を持っていました。また関東軍は防疫給水部とは別に、新京(現在の長春)に「軍獣防疫廠」(1936年設立。1941年に「満州第100部隊」と改称)を持っていました。ここは軍馬や家畜に対する細菌兵器の開発を担当しており、人体実験も行っていました。

(写真画像閲覧注意)

 明日に続きます。

2020年2月22日

船橋市海神:弓場清孝