先日、船橋市勤労市民センターおいて、京都大学原子炉実験所助教の

「小出裕章」氏の講演が「京葉いきいき会議:主催」で開催された。

会場は400人を遥かに越え開演時間には入りきれない人も出るほどでした。


$疲労困憊したおじさんのブログ


今日と明日2回に渡り講演の内容を少し書いてみます。

小出さんは1968年に東北大学工学部原子核工学科に入学され、

原子力を学ぶことでその危険性に気がつかれ、

1970年、女川の反原発集会への参加を機に、伊方原発裁判、

岡山県人形峠のウラン残土問題、東海村JCO臨界事故などで、

放射線被害を受ける住民側に常に立たれ原子力の専門家としての

立場からその危険性を訴え続けておられます。

そして、みなさんご存知の通り特に3・11福島事故後においては、

全国で講演を行なわれています。

尚、下の文章は僕の注釈を入れてあるもので小出さんが話された内容と

は違うものです。

--------------------------

$疲労困憊したおじさんのブログ


$疲労困憊したおじさんのブログ


アメリカが原爆の爆発を成功させたのが、

ポツダム会談の時で1945年7月26日に日本に対し無条件降伏を

促すポツダム宣言を発表したが日本軍部(陸・海・空)と鈴木貫太郎などは

これを拒否しまた報道機関の読売新聞は「笑止、対日降伏條件」、

毎日新聞で「笑止!米英蒋共同宣言、自惚れを撃破せん、聖戰飽くまで完遂」

「白昼夢 錯覚を露呈」などと報道した。

そして8月6日に原爆が広島に投下された。

しかし、これは表向きの話しで実は原爆投下に関しては

事前に知る者がいたという

情報も多い。それは果たして誰だったのか、

また改めて書くことにします。

下の画像は原爆が投下される前の広島市で人々は戦況悪化で

困難を伴いながらも普通の暮らしをしていました。


$疲労困憊したおじさんのブログ


(広島に投下されたリトルボーイ)
$疲労困憊したおじさんのブログ


$疲労困憊したおじさんのブログ


800グラムのウランと爆薬で

一瞬のうちに多くの人々の命を奪いそして一面が焼け野原


$疲労困憊したおじさんのブログ


$疲労困憊したおじさんのブログ


3日後の8月9日には長崎にも・・

$疲労困憊したおじさんのブログ


$疲労困憊したおじさんのブログ


このように多くの人命が奪われ、かつ被爆して

苦しむ人たちがいるに関わらず平和利用という

安全神話を創り原発を導入しなければならなかったのは何故か

その多くの答えを東京新聞が連載で続けている

「日米同盟と原発」に書かれていますので是非お読み下さい。

これは東京web版でも読めます。


(下クリック
東京新聞web...

この続きは明日に続きます。

今日の最後は小出さんが23日に神奈川県厚木市で

講演されたのが動画になっていますので

ご覧下さい。


【2013・2・23小出裕章厚木市講演「美しい故郷を子どもたちへ」】