障がい者福祉のプロは資本主義社会のアマチュア | やせ我慢という美学

やせ我慢という美学

夢はきっと叶う ひとつだけきっと叶う
そのために何もかも失ってかまわない
それほどまでの夢なら叶う
一生にひとつだけ
夢はきっと叶う 命も力も愛も
明日でさえも引き換えにして きっと叶う

損得を考えずに「困っていること」「困っている人」に真剣に向き合う。その苦しみや悲しみを自分のことと置き換えて考え、行動する。それがぼくの思うこの道のプロの仕事、プロの姿。金銭の発生するしないに関わらずまずやる。

お金のことはそれから考える。儲かるとか儲からないとかっていう言葉自体がもうたまらなく浅ましい。

いいんです、そんなことは。困っている人を助けるのです。それだけでいい。

「際限のない人間的な優しさ」を湯水のように他人のために注ぐのが仕事だ。そのことに躊躇しない。そこには一切のあざとさ、狡猾さ、計算高さ、うさん臭さは存在しない。そういうものと10億年離れた位置に居続けろ。

銭金言うな。それでもって経営を続けていくんだ。至難の業かもしれないけれど、ぼくの思う障がい者福祉の王道はそこにある、というかそこにしかない。

カネ儲けなんて一切考えずにやってきた。

補助金もない30数年前、県の役人が「マツモトさん、家族を食べさせなあかんのやで。カスミ食べて行くわけにはいかんやろ」と注進してきたことがあった。ぼくは「いいえ、そんなことするぐらいならカスミを食べて生きていきます」と吠えたことがあった。あまりにも「イクセイカイ」との共同経営をごり押ししてきて、それを拒んでいた頃だった。そうしないとやっていけないという根拠もないし、そういう法律もないし、自分の理想が実現できないことを何よりも訴えていた頃。そんなクズみたいな団体と一緒にやるために起業したのではない。自分たちは一切間違ったことはしていない、と頑なに主張している頃だった。

 

拝金主義者共のあざとさが今も大嫌いだ。

福祉のプロになる。それはそういう資本主義社会が体質として持ち合わせている「儲けてなんぼ」という価値観を睨み返してやることにつながる。

「困ったらうちにおいで」

「何とかしまっせ」

近藤原理が口癖のように言っていた「よかったら、一緒に生きていきませんか」って。そんな時代錯誤はなはだしい生き方の中にぼくは自分の理想のプロフェショナルを感じている。