「たんのした」と「堪能した」は違う。
「たんのした」は「もう飽きた」とか「退屈した」という意味に使う。この辺だけかどうかは知らないが、あまりいい意味には使わない。
「堪能した」は「十分満足した」とか「納得した」という意味に使うよね。肯定的ないい意味の言葉。
元々の語源は同じかもしれない。たぶん同じだと思う。
堪能したらたんのするんだろうなあ。
人生って満足したら飽きてしまうってことか。
長い付き合いの人と一緒にいるとすぐ「たんのしてしまう」ことって多い。先が読めるから。仕事も家庭も同じでたんのする相手って言う事が決まっていて、やることも決まっていて、頭の中がまるで透き通っているように見える時がある。
近寄りすぎると「見えてしまう」からたんのしてしまう事が多い。
しかし、「この人なに考えているのかさっぱりわからない」「いったいこの人は何者なんだ」と思う人もいる。わからないから長続きするって本当のこと。
人が人と別れる理由で多いのがきっと「あなたのことは全部分かった」と啖呵を吐かれる瞬間だ。・・・なんやこの程度の奴か、と底が見えてしまうとその薄っぺらさに気づいた瞬間に謎めいたものが消え、化けの皮が剥がれて人は去っていく。
大事なことは他人に「たんのしたわ」と言わせないこと。
それは心の奥底に深い深い井戸を掘っておくこと。
得体の知れない謎の部分を晒さないこと。
わかりやすい人って駄目です。井戸の底が見えている。
どす黒い闇のある人がいい。見えない部分が底なしのように広がっている人がいい。
結婚して37年経つのに今日、家人について新しい発見をした。
飛行機に乗らない、と宣言した。
理由は「死にたくないから」と言う。
4月に倅の結婚相手の両親に会いに北海道へ行くと決めていたのだが、どうやら新幹線で行く公算が強くなった。
いきなりこういう宣言する人と一緒にいるとたんのしない。
毎日がスリルに満ちている。
井戸はどこまで深いんだろう。底はあるんだろうか。