京都行き | やせ我慢という美学

やせ我慢という美学

夢はきっと叶う ひとつだけきっと叶う
そのために何もかも失ってかまわない
それほどまでの夢なら叶う
一生にひとつだけ
夢はきっと叶う 命も力も愛も
明日でさえも引き換えにして きっと叶う

 

 

 

 

 

 

 

 



 

約ひと月前から左肩が痛くてたまらない。上げるのも、横へ伸ばすのも疼痛が走る。思いついたのが「京都キャロット鍼灸院」

 

昨日快諾を得て一路京都へ。京都へ行くなら盟友であり大学時代からのツレ(今や年数回は一緒に落語を見に行く仲)が体調崩しているのでお見舞いに行こう…そういう事で上洛してきた。下道で行くのも楽しい、と思って社から篠山へ、その後、いつもは亀岡経由するはずが園部の山の中に入ってしまって、細野やら持越峠やら雲ケ畑やら・・・ナビが迷走案内してくれた。

昼前にキャロット着。念入りに施術してもらって、なんと終わったら、腕が上にも横にも痛みなく伸びた。魔法みたいな話。感謝しかない。その間の世間話も最高で笑いっぱなしの90分。

その後、病気見舞い。とはいっても入院していないので近くの店で遅めの昼食食べて色々しゃべっていると「今日、佛大の学園祭や」という事を聞いて行ってみた。

ゆっくり大学に入ったのは38年ぶり。当時の痕跡が一切なかった。建物も中庭も当時の面影は一切ない。

「第57回鷹陵祭」・・・きれいな学内。大きな立看などない。小美麗な若者が行き来していた。

42年前の15回鷹陵祭実行委員長・・・当時は隣にあった組事務所にあいさつに行って「挨拶に来るのが遅い」とすごまれて、応援団の幹部に「演武の時に会場が騒がしすぎる」と文句を言われて部室に監禁されたり、混沌とした中で、無我夢中だった。そんな平和なノホホンとした空気感は一切なかった。そんな感傷にふけっていた。学園祭って模擬店だけかい、って悪態ついて・・・、ああ、もう自分の来るところではないし、居場所でもないことを確認して早々に会場を後にする。

40年前の佛教大学は「マツモト」が何かと仕切っていた。大学での定例の五者会議(自治会、体育会、文化会、大学当局、応援団)の日に体調崩して歩いて5分の所にあった下宿で寝ていても学生課の職員が探しに来て、拉致されるように学内へ連行されたこともあった。「お前がいないと動かない」という時代もあった。窮屈な思いがいつもしていたけど、懐かしすぎる思い出。

今でも見る「京都」の夢。今の京都にそういうドラマはない。

帰りに船岡山に42年ぶりに登って景色を眺めて感傷にふけって、僕の中の大きな結節点だった「京都」はもうかなり前に終わっていた、と今更ながら思う。