「世界は今日から君のもの」についてインタビューを受けるとき、必ず聞かれるのは「この脚本は尾崎さんが門脇麦さんに当て書きしたそうですね」ということです。その通りなのですが、ふと「そもそも、当て書きって何だっけ」と思いました。今回はこのことについて書いてみたいと思います。

 一般的に当て書きとは、誰か特定の俳優を決めて、その人をイメージして脚本を書くことです。そういう意味では今回の作品は門脇さんを主役と決めた上で脚本を書いたので、紛れもなく当て書きということが出来ます。
 でもそういう意味なら当て書きはそう珍しいことではありません。テレビの連続ドラマは、主役が決まってから脚本を書くことが多いのです。僕の作品で言えば「結婚できない男」「特命係長・只野仁」「ブラック・プレジデント」「お迎えデス。」などは皆そうで、そうでないものを探す方が難しいくらいです。
 だとすると連ドラのほとんどは当て書きということになり、あえてインタビューで聞くほどのことではなくなってしまいます。
 当て書きには、広い意味と狭い意味があるようです。広い意味は上に書いたように、脚本執筆を開始する時点で演じる人が決まっており、その人を想定して書くというもの。
 一方、今回の作品の場合は、もっと厳密な意味の当て書きだろうと思います。その人が主演に決まったのでその人のイメージに合わせて書くというのではなく、作品の発想自体が「門脇さん主演でこんな映画を作りたい」ということでスタートしているのです。

 



 もうひとつ今回の作品における「当て書き」が持っている意味合いは、ヒロイン真実のキャラクターに自分を投影しているということです(このへんのことは以前のエントリーで書きました)。しかし面白いのは、門脇麦さん本人と真実は全然違うキャラだということです。では僕はどうして彼女にこの役をやってもらおうと思ったのか。それは14年にやったドラマ「ブラック・プレジデント」での彼女の演技を見たことが大きいと思います。門脇さんがインタビューで「尾崎さんは自分に当て書きしてるんです」と言っているように、このドラマのときに門脇さんが自分を投影したキャラを上手に(しかも魅力的に)演じてくれる人だということを発見したのだと思います。
 脚本家や監督が、一生の間に俳優さんとの間でどれくらいこういう出会いを出来るものかはわかりませんが、とてもありがたいことだと思います。

 


 

「世界は今日から君のもの」

※7月15日(土)に初日舞台挨拶を行います。詳細は公式サイトで!

 

監督・脚本:尾崎将也

音楽・川井憲次 主題歌・藤原さくら「1995」
出演:門脇麦 三浦貴大 比留川游 マキタスポーツ YOUほか

上映時間:106分
配給:アークエンタテインメント

7月15日(土)から渋谷シネパレスほかで全国公開

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