ツイッターで「結婚できない男」と「世界は今日から君のもの」についてつぶやいたところ、すいぶん反響があったので。この二本の作品のことをもう少し詳しく書いてみたいと思います。
 改めて考えてみると、この二作品は自分の中で対になるような作品です。特に意識したわけではなく、結果としてそうなったのです。
 「結婚できない男」は、「阿部寛さん主演で何をやるか」ということで始まった企画です。僕は「偏屈な男が主人公のコメディが面白いのでは」と発案しました。他に原作ものが候補として上がったりしましたが、阿部さんが僕が発案した企画に乗ってくれたおかげで、この作品が実現しました。(このへんは拙著「3年でプロになれる脚本術」にも書きました)

 


 

 だからこのドラマは他に比べて、かなり自由度の高い仕事でした。その結果、ほとんど意識しない形で阿部さんのキャラに自分をかなり投影させることになり、「それは抑えろ」というようなブレーキがかかるようなこともなく、「やればやるほど面白くなる」という感じでした。キャストもスタッフもそれに乗ってくれました。
 ただ、面白い作品になるという確信はあったものの、どれほど視聴者に受け入れられるものになるかはわかりませんでした。一部の人だけが面白がるカルト的作品になるかもしれないと思っていたのです。しかし結果としては、非常に多くの人が面白がってくれました。好きなように書いた作品がこれほど受けるのはなんだか不思議な感じがします。同じことをもう一回やれと言われてもなかなか難しいです。
 一方、もうすぐ公開の映画「世界は今日から君のもの」は門脇麦さんが主演ということが脚本を書く前に決まっており、また自分が監督することが前提なので、これも好きなように脚本を書きました。するとやはり、自然と自分を投影するような作品になって行きました。阿部さんと門脇さんが自分を投影しやすい俳優だということも大きいと思います。男の阿部さんはともかく、女性の門脇さんに対してどうしてこういうことが起こるのかは、自分にもよくわかりません。
 ツイッターに書いたように「結婚できない男」が成人してからの自分だとすると「世界は今日から君のもの」は若い頃の自分です。前者が「自分はこういう人間」というのが確立しているのに対して、後者はまだ自分の将来が見えず、どう生きればいいかわからない状態の自分です。そんなモヤモヤした状態から、「これで行こう」という道が見つかるかどうかを描いたのが「世界は今日から君のもの」なのです。

 


 

 「世界は今日から君のもの」の試写を見てくださった方から「クリエイターを描いた作品だ」という感想を聞きました。そういう意味では、「結婚できない男」はクリエイターになってからを描いたもので、「世界は今日から君のもの」はクリエイターが出来上がる過程を描いたものだと言うことも出来ます。
 試写を見るのは大人の人が多いので、この作品について若い人からはまだほとんど感想を聞いていません。これから映画が公開されて、若い人から感想を聞くのが楽しみです。


 

「世界は今日から君のもの」

監督・脚本:尾崎将也

音楽・川井憲次 主題歌・藤原さくら「1995」
出演:門脇麦 三浦貴大 比留川游 マキタスポーツ YOUほか

上映時間:106分
配給:アークエンタテインメント

7月15日(土)から渋谷シネパレスほかで全国公開

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