怠惰な時間が脳を効率化させる。とはどういうことだろう?
勤勉はルターが始めたカルト。労働に絶対的な価値は認められない。効率化がさらに効率化を求めるという矛盾。
効率化と時間管理という概念がさらに私たちの労働時間を長くしているという矛盾。
時間は絶対的なものではない。
脳には作業中に沈静化し、休息中に活発化する領域がある。この安静時の脳活動を「デフォルトモードネットワーク」というらしいです。
芝生や部屋で寝転んでたり目を閉じてるとき、窓の外をみて仕事から離れている時に「閃き」がやってくる(ようだ)。
もちろんそれ以前に脳はそれ自身でが成長しない。だから本気の瞑想には圧倒的な知識が必要。
瞑想はこの言わば無意識領域(イコールではないが)のデフォルトモードネットワークによる演算。
これが「抽象度の高い質問」を脳に投げて計算させるという風景かと。
ラッセルやリルケが「無為に過ごすことでしか得られない力がある」と生涯主張していたことや、天才ファインマンさんwが夢や白昼夢に興味を持っていたこと、エジソンがインスピレーションを得るべく、鉄球を持ちながらうたた寝をしていた(完全に寝ると鉄球が落ちて目を覚ます)ことと重なる。
偉大なモームがやるべきことルーティンワークとして時間を決めてタイプライター前に座り、何もない時は自分の名前をタイプし続けたことも、このことと関連すると思う。
村上春樹さんも、仕事の時間と余暇の時間を決められているとインタビューで答えている。
僕も(と、さりげなく天才と並べる癖が僕にはある様ですw)自分の仕事は「労働」という厄介な概念からは外に外に出して考えている。
無意識的に言葉の囚われ人とならぬ様に「暇です。」とばかり言うことが多い。「忙しい」というときは喜んで自分で追い込む時だけ。外部には追われない追わない方が、脳は高速化し、社会にシェアする価値は増大するのだと思う。
その意味では拙速は最悪かなw。(まあ僕が使う拙速はそういう意味じゃないんだけど。)
拙速は巧遅に劣る。ピータースティールも「ZERO to One」でそう解いている。
脳の計算が終わるのをギリギリまで待つということは、ここで冒頭に使った「怠惰」という言葉が表す様な状態にしか周りには見えない。僕も誰からも批判は受けたこともないのですが、一番説得に時間がかかるのは自分である。
それにはこの今までノイズと考えられてきた脳の自発的?な活動を十分に理解してから「怠惰w」を実践する方が「効率的w」である。
それは、、、
なんだか忙しくなって来たのでw途中で終わります。
「自分ノート_φ(・_・」